欧米における近代国民国家の発展
ウィーン会議の風刺画(Le gateau des rois, / tiré au Congrès de Vienne en 1815/British Museum)© The Trustees of the British Museum

欧米における近代国民国家の発展

ナポレオンの大陸支配が崩壊し、変わって正統主義と各国の勢力均衡を原則とする保守的なウィーン体制が19世紀はじめに生まれた。各国の自由主義や国民主義(ナショナリズム)運動を抑圧したことから、騒乱が頻発し、ウィーン体制が動揺・崩壊する一方、イギリスは「世界の工場」としての経済的優位を背景に、いち早く国内の自由主義的改革や外交を実行し、ブルジョワジーが主導する社会に転換した。

欧米における近代国民国家の発展

ナポレオンの大陸支配が崩壊し、変わって正統主義と各国の勢力均衡を原則とする保守的なウィーン体制が19世紀はじめに生まれた。この体制は、各国の自由主義や国民主義(ナショナリズム)運動を抑圧したことから、騒乱が頻発した。1810〜20年代にかけてラテンアメリカやギリシアで独立運動が展開され、フランスの七月革命(1830)・二月革命(1848)とその影響をうけた各国の革命運動をへて、ウィーン体制は動揺・崩壊した。一方、イギリスは「世界の工場」としての経済的優位を背景に、いち早く国内の自由主義的改革や外交を実行し、ブルジョワジーが主導する社会に転換した。

ヨーロッパの国際関係に大きな変化がおきるのはクリミア戦争(1853〜56)からである。この戦争によってオーストリアとロシアの両国の協調関係にヒビが入り、バルカン半島方面での対立が明確になったことから、イタリアやドイツの統一運動に有利な状況が生まれ、前者は1861年に、後者は1871年に統一を実現し、国民国家が形成された。また敗北したロシアは国内の改革の必要性に迫られ、農奴を解放して資本主義への第一歩をふみだし、ナロードニキを弾圧した。アメリカ合衆国では国内の民主化が進展し、19世紀半ばまでその領土は太平洋沿岸にまで到達した。奴隷制をめぐる問題から南部と北部が地域的に対立し、合衆国史上最大の内乱である南北戦争がおきた。この戦争は北部の勝利に終わり、北部の産業資本家の主導のもと西武の開拓が進展し、資本主義が高度化して19世紀末までに世界第1位の工業国家になった。

また各国の工業化の進展は労働運動を発生させ、生産手段の社会手段の社会化をめざす社会主義思想が誕生した。イギリスやフランスでは、人道主義的な立場や理想的な産業社会、協同組合などをとおした生活・労働条件の改善の試みがなされた。ドイツではカール=マルクスが資本主義経済の分析をとおして、「科学的」と称する社会主義を提唱した。

19世紀の欧米社会では、ブルジョワジーが政治・経済分野ばかりでなく、道徳・倫理・服装・教育・健康など社会のさまざまな分野における価値観を主導し、資本主義の本格的な展開に対応した消費社会が現出した。そして19世紀末から20世紀にかけて、女性の社会参加への要求が強まり、各国で参政権が認められるようになった。

欧米における近代国民国家の発展年表

欧米における近代国民国家の発展年表

関連事項
1812アメリカ=イギリス戦争(〜14)
1815ウィーン議定書成立
1821ギリシア独立戦争(〜29)
1823モンロー教書(宣言)
1825ロシア、デカプリストの乱
1830フランス、七月革命
1832イギリス、第1回選挙法改正
1834ドイツ関税同盟発足
1837イギリス、ヴィクトリア女王即位(〜1901)
1846イギリス、穀物法廃止
1848アメリカ、カリフォルニア領有
フランス、二月革命
オーストリア ・ドイツ・三月革命
1853クリミア戦争(〜56)
1859イタリア統一戦争
1861アメリカ、南北戦争(〜65)
ロシア、農奴解放令
イタリア王国成立
1863リンカン、奴隷解放宣言発表
1866プロイセン=オーストリア 戦争
1869アメリカ、大陸横断鉄道完成
スエズ運河開通
1870プロイセン=フランス戦争(〜71)
1871ドイツ帝国成立
パリ=コミューン
1877ロシア=トルコ戦争
1878サン=ステファノ条約、ベルリン会議
参考:詳説世界史研究
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