機械化と工場制度
ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道 ©Public Domain

機械化と工場制度

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機械化と工場制度

機械をつくる工業(機械工業)自体が機械化され、新たな技術体系が確立、鉄道網が全国をおおい市場が完全に統一されてイギリスの産業革命は、1850年前後にほぼ完成した。1825年、蒸気機関車による鉄道が開通し1851年、世界に先駆けて産業革命を完成したイギリスの技術と経済力を誇示するロンドン万国博覧会を開催した。

機械化と工場制度

イギリスにおける産業革命は、マンチェスター周辺の綿工業における技術革新からはじまった。1733年にジョン・ケイ(飛び杼)(1704〜1764)によって毛織物業のために発明された飛び杼とびひが、その後、綿工業に転用され、綿の織布しょくふ工程の能率が急に上昇した。このために綿糸めんし不足が生じ、これを解決するためにジェニー紡績機水力紡績機など、紡績機の発明が相ついだ。

産業革命
リーズの亜麻工場の一日(1843)©Public Domain

機械を動かす労働者はほとんどが女性で、低賃金・悪労働条件下で働かされた。

水力紡績機は、のちに蒸気機関に接続され、能率を飛躍的に高めた。さらに1779年に発明されたミュール紡績機をもって、紡績部門の技術革新は一段落した。これに対応して、織布部門でも1785年にエドモンド・カートライト(1743〜1823)が力織機りきしょっきを発明したが、この部門では機械化はそれほど急速には進まなかったので、なお多くの手織工が必要とされた。1830・1840年代に、チャーティスト運動などで多数の手織工が活躍するのはこのためである。

ともあれ、これらの技術革新、特に動力の利用によって集中して工場をつくることも可能になり、工業都市が出現した。工場制度は労働者の生活を決定的に変化させた。

こうして、綿織物業から始まった工場制度や技術革新は、やがて毛織物工業などにも広がった。いずれにせよ、産業革命の初期には、主として繊維産業や陶磁器のような消費財を生産する軽工業がその中心であった。

しかし、経済や社会のあり方に決定的な影響を与えたのは、重工業交通手段の革命であった。まず、18世紀初頭、エイブラハム・ダービー2世(1711〜1763)によってコークスによる製鉄法が開発され、イギリス国内ではすでに枯渇していた木炭から、大量に供給可能な石炭へ工業用燃料が転換した。これによって石炭業や鉄工業が発展し、の生産量も増えて、鉄製の機械が普及していった。

17世紀のトーマス・ニューコメン(1663〜1729)以来、本来炭坑用に開発されてきた蒸気機関ジェームズ・ワット(1736〜1819)によって改良され、炭坑の能率がよくなった。さらに、蒸気機関は紡績機などにもとりつけられて、生産効率を上昇させた。

価格のわりに重い鉄や石炭を運ぶために、交通手段もつぎつぎと改善された。はじめに利用されたのは、有料道路や運河であった。とくに、マンチェスター周辺の運河は、石炭の運搬に大いに力を発揮した。1825年にジョージ・スチーブンソン(1781〜1848)が試作した蒸気機関車は、その後急速に全国に波及し、1850年にはその営業距離が延べ1万マイルをこえた。19世紀後半には、鉄道はイギリスの輸出品のなかでも圧倒的に重要となり、世界中いたるところにイギリス製の鉄道が敷かれることになった。国の内外を問わず、鉄道は人間の交流をさかんにし、都市の発達を促した。

イギリスの産業革命 産業革命時代のイギリス地図
産業革命時代のイギリス地図 ©世界の歴史まっぷ

産業革命(イギリスを中心とする技術進歩のあゆみ)

発明者技術
1705トマス・ニューコメン蒸気機関を開発
1709エイブラハム・ダービー2世コークス製鉄法を開発
1733ジョン・ケイ飛び杼を発明
1764ジェームズ・ハーグリーブスジェニー紡績機を発明
1769ジェームズ・ワット蒸気機関車の改良に成功
1769リチャード・アークライト水力紡績機の特許取得
1779サミュエル・クロンプトンミュール紡績機を発明
1784ヘンリー・コートパトル製鉄法(攪拌精錬法)を開発
1785リチャード・アークライト特許取り消し
1785エドモンド・カートライト力織機を発明
1796エドワード・ジェンナー種痘接種に成功
1807ロバート・フルトン(米)汽船発明
1814ジョージ・スチーブンソン蒸気機関車の試運転に成功
1825[ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道]最初の蒸気機関車による鉄道開通

ロンドン万国博覧会

イギリスの産業革命は、1850年前後にはほぼ完成したといわれる。機械をつくる工業(機械工業)自体が機械化され、新たな技術体系が確立したこと、鉄道網がほぼ全国をおおい、国内の人や物資の動きが自由になって市場が完全に統一されたこと、資本主義の発達にともなう特有の恐慌とみられるものが、1848年におこったこと、などがその根拠としてあげられている。

バイドパークに作られた水晶宮(クリスタル・パレス)と呼ばれたガラスばりの巨大な建物をおもな会場として、1851年に開かれたロンドン万博博覧会は、世界に先駆けて産業革命を完成したイギリスの技術と経済力を誇示する壮大なイベントであった。それはまた、イギリスによる世界支配、いわゆる「パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)」を象徴する出来事でもあった。

イギリス人はきそってこの博覧会を見物するために、ロンドンに旅行した。このため、旅行社が発展し、イギリスの庶民の間に、楽しみとしての旅行の習慣が根づいた。

欧米における近代社会の成長年表

関連事項
1700北方戦争(〜1721)
1701スペイン継承戦争(〜1713)
1707グレートブリテン王国成立
1714英、ハノーヴァー朝(〜1917)
1740普、フリードリヒ2世(プロイセン王)即位
オーストリア継承戦争(1748)
1756七年戦争(〜1763)
1763パリ条約
このころイギリスで産業革命始まる
1769英、ジェームズ・ワット、蒸気機関改良
1772第一回ポーランド分割
1773ボストン茶会事件
1775アメリカ独立戦争(〜1783)
1776アメリカ独立宣言発表
1783
パリ条約
1789フランス革命勃発、ワシントン、初代大統領就任
1792仏、第一共和制
1794テルミドール9日のクーデタ
1795第三回ポーランド分割
1799ブリュメール18日のクーデタ
1802アミアンの和約
1804ナポレオン、皇帝即位(第一帝政)
1812ナポレオンのロシア遠征
1814ナポレオン退位、ウィーン会議
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