宗教改革の意義 37.宗教改革
バーデン=ヴュルテンベルク州の教会のステンドグラス(ルターとカルヴァン)Wikipedia

宗教改革の意義

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宗教改革の意義

ルターやカルヴァンは、聖書から直接神のことばを学び、「信仰によってのみ」神の恩寵が得られるとし、神と人との間にカトリック教会が介在することを否定し、教皇を頂点とする全ヨーロッパ的なキリスト教世界の秩序、教会が支えていた古い社会秩序を根本から揺るがせた。宗教内乱や宗教戦争は政治的・社会的抗争もともなって16〜17世紀のヨーロッパ各地に広がった。

宗教改革の意義

現世の秩序が維持されるためには、それが正当性をもっていること、その正当性を意味づける価値体系の存在が必要である。封建社会の秩序、王や貴族の権力は教皇や教会によって権威づけられる必要があった。また、教皇や教会は神の恩寵おんちょうを人々にとりづぐ唯一の存在、組織であるということで、その権威を維持していた。カトリックの教義では、教会の聖職者がおこなう洗礼や聖餐せいさんなど秘蹟ひせき(サクラメント)と呼ばれる儀式をつうじてのみ神の恩寵がうけられるとしていた。神の真理は教会が独占し、別ルートでそれに近づくことを禁じたのである。神秘主義により直接神に近づくこと、教会の定めた方式によらないで神を信仰することを、異端行為として禁じたのである。

宗教改革が提起したものは、時代が要求する人間の魂の「神への限りない飢え」にキリスト教がいかに応えるかということであった。宗教改革は単に風紀を改革したのではなく、教義を改革したのである。ルターやカルヴァンは、ただ教会や聖職者の風紀上の誤りを正そうとしたのではない。彼らが、カトリックの聖職者を批判するのは、聖職者が悪い生活を送っているということではなく、誤って信じていることに対してである。

マルティン・ルターやジャン・カルヴァンは、聖書から直接神のことばを学び、「信仰によってのみ」神の恩寵が得られるとし、神と人との間にカトリック教会が介在することを否定したのである。ルターが『キリスト者の自由』で述べているように「信仰によってキリストとともに、みなかならず王となり司祭となる」のである。この万人司祭主義は、カトリック教会の権威を否定したものである。それは信仰の純粋化・内面化であり個人化であった。しかしこれは個人個人が聖書を自由に解釈し、信仰の形式を自由に選ぶということを必ずしも意味しない。聖書を正しく解釈する指導者やプロテスタントの神学が必要であった。ルターやカルヴァンが、カトリックのみならず自派とことなるプロテスタントの各派と厳しく対立する理由はそこにあった。

宗教改革はカトリック教会を否定することによって、教皇を頂点とする全ヨーロッパ的なキリスト教世界の秩序、教会が支えていた古い社会秩序を根本から揺るがせた。神の絶対性の前の人間の徹底した無力を強調することで、かえって世俗世界での自由をえることができたのである。教皇の威厳から独立した諸国家の支配者が国内・領内の教会を支配下において絶対的権力を握り、知識人や市民は新しい秩序を求め、農民は領主に反抗する根拠を聖書の教えから引きだした。宗教内乱や宗教戦争は政治的・社会的抗争もともなって16〜17世紀のヨーロッパ各地に広がった。