ストーンヘンジ 1. 人類の出現と文明への歩み 先史の世界 最古の人類 初期農村から都市国家へ
ストーンヘンジ ©Credits/Source

初期農村から都市国家
初期農村から都市国家へ 初期農村はしだいに定住的になり、生産の技術の発展により人口も増加した。祭祀を中心とした呪術的な宗教によって人々は結び付けられ、住居や衣服、貯蔵・調理のための器具・農工具・武器などの生産は自給自足が原則であったが、遠隔地との交易にともなって文化の伝播もみられた。

初期農村から都市国家へ

初期農村はしだいに定住的になり、生産の技術の発展により人口も増加した。祭祀を中心とした呪術的な宗教によって人々は結び付けられていた。共通してみられるのは、豊饒ほうじょうと多産を祈願するための女性像やそのための儀式であった。採集と農耕には女性の果たす役割が大きく、初期農耕民の間では母権的な社会に向かう傾向があったと思われる。また大地の比類ない重要性が認識されて、女性像が大地母神じぼしん像として広く崇められた。

住居や衣服、貯蔵・調理のための器具・農工具・武器などの生産は自給自足が原則であったが、遠隔地との交易も早くからおこなわれ、それにともなって文化の伝播もみられた。
ことに西アジアで黒曜石が求められ、キクラデス諸島やシチリア島・サルデーニャ島から運ばれた。ヨーロッパ北部に産する琥珀も宝石として珍重され、紀元前7千年紀には西アジアに持ち込まれている。石器が繊細なものになっていく一方、彩文土器が紀元前5千年紀につくられはじめ、簡単な青銅製品も使用されだした。
生産余力の増加にともなって農耕以外の労働にたずさわる人々も現れ、これらの技術を持つ専門職人が出現した。社会には階層差も見出されるようになり、埋葬のようすから集落の初期的な権力の出現が伺われる。人間の権利私有や商取引の観念なども発達していった。西アジアなどにみられる印章がそれらのことをよく示している。

初期農耕文化は広い地域に生まれたが、また先進地域の技術が他の地域に伝播していったことも確かである。紀元前3000年頃までにはユーラシア・アフリカ大陸の沿岸や大下流域の肥沃な地帯に農耕・牧畜文化圏が成立した。磨製の石器、彩色・線刻の土器を用いる新石器文化がそこに発展した。ことにナイル川ティグリス・ユーフラテス両河インダス川黄河・長江流域は沃地に恵まれ、農牧文化の中心として発展し、いわゆる世界四大文明の発祥地となった。西アジアではティグリス・ユーフラテス両河のほとりで灌漑農業が他にさきがけて始められ、初期農村から神殿を中心とする都市への成長が見られることになる。

一方、ヨーロッパではバルカン半島から農耕技術が伝播していき、犬・豚・牛・羊・山羊の家畜化、土器の製造も普及していったが、北方では狩猟・採集の生活が長く残った。とくにバルト海からシベリアにかけての地域は農耕に不敵な寒冷な森林地帯であり、ここには土器・磨製石器とともに骨角器を多用する新石器文化の採集・狩猟・漁労の生活が共通に発達した。日本の縄文文化はここに属すると考えられる。さらに中央アジアからイラン・シリアをへて北アフリカにいたる草原地帯には、細石器を用いる原始遊牧民の新石器文化が成立した。これら遊牧民の間では天空神を崇める傾向があり、社会は父権的な性格を示すことが多かった。遊牧民は農耕民としばしば関係を結び、交易を行ったり略奪したりした。やがては農耕地帯に侵入した遊牧民が農耕民を征服し定着していく例も頻繁になっていく。

ヨーロッパの巨石建築

紀元前3千年世紀以後、フランス・イベリア半島・ブリテン島にはストーンサークルメンヒルドルメンなどの巨石建造物が多数作られており、何らかの共通する宗教文化圏が存在したことを伺わせる。代表的なのはブリテン島のストーンヘンジで、環状の基礎石と列柱は天文に関係するとみられ、それが広大な地域の祭祀の中心であったと推測されている。またフランスのブルターニュ地方のカルナックでは、石が11列の直線をなして並べられ、実に1167mに達する。

先史の世界
ストーンヘンジ ©Credits/Source

イングランドのソールズベリにある巨石建築。建設は紀元前2000年頃。直径100mの列石の環、直径22mの立石の同心円などからなり、環の開口部は夏至の日の出に向かっており、ここが天文と関係する祭祀の場所であったことがわかる。
先史の世界
カルナック列石 ©Wikipedia

フランスのブルターニュにある。新石器時代から青銅器時代にかけての遺跡。3ヶ所の列石からなり、最大のものは11列で幅100m、長さ1167m、石の総数は1169個である。ストーンヘンジと同様、天文と関係するとみられる。

彩文土器

先史の世界
彩文土器 土器に色づけを施したもので、イランからアナトリアにかけての地域で前6000年ころから用いられた。中国では彩陶土器と呼ばれる。彩文・塗彩・描画などの種類があり、動物や狩猟などの絵から当時の文化が知られる。

初期の金属器

現在知られる最古の金属加工の遺物は、紀元前5000年ころのバルカン半島でつくられた銅と金の細工物である。自然の状態で採取しやすく展延てんえんが容易であったから、これら2種類の金属がまず利用されだしたのだろう。
紀元前5千年紀後半からは鉱石を溶融させて金属を採取する技術が発達した。はじめは土器用の窯が用いられた。銅にすずを混ぜることによってより強度な青銅が得られることが、紀元前三千年紀には知られるようになる。錫は西アジアにも地中海沿岸にもなく、ブリテン島やイベリア半島西部などから交易により取り寄せねばならなかった。中国でも独自に青銅器文化を作り出していく。

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