世界史の転換点
Rare Book Division, The New York Public Library. “Rape threshing.” The New York Public Library Digital Collections. 1814 – 1813. The New York Public Library

世界史の転換点

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世界史の転換点

産業革命以前、すでに都市はあるが大半の人々は農村に住み、大きな工場も鉄道もなく、仕事は家族でおこない、地域の人々は助け合いながら生活していたが、生産の能率は高くなく、生活はきわめて厳しかった。寿命も短く、人口は増加せず、女性や使用人をはじめ、多くの人々が政治的にも社会的にも一人前には扱われず、選挙権や財産権を認められていないことが多かった。良い意味でも悪い意味でも、産業革命こそは現代の世界が生まれてきたきっかけであった。

世界史の転換点

仮にSF風に自由にタイムスリップができるとしよう。現在から順に過去にさかのぼっていくと、どのあたりで現在の世界とはまったく違う、別の世界に入ったと感じるだろうか。むろん、小さな「変わり目」はいくつもあるが、決定的に「違う」社会に入るのは、特に西ヨーロッパでは18世紀末のことであろうと思われる。

この境目をこえて18世紀に入ると、すでに都市はあるが、なお大半の人々は農村に住んでおり、大きな工場もなければ鉄道もない。仕事は家族がまとまってするのが普通で、家族は一日中、ほぼ一緒に活動している。学校や職場で、同じくらいの年齢のものが大勢集まっているなどということもまずない。人々は時間単位でやとわれているのではないから、好きな時間に働き、好きな時間に休んでいる。町でも村でも、地域の人々はたがいに顔見知りで、たいていのことでは助け合いながら生活していた。娯楽も、祭りや地域の人々との交わりが中心であった。

しかし、この社会は牧歌的なことばかりでもない。生産の能率は高くないし、科学・技術は発展していないから、人々は貧しく、生活はきわめて厳しい。しばしば飢饉や伝染病が広がり、子どもは大勢生まれるがつぎつぎと死に、生き残った人の寿命も長くはないので、人口はあまり増加しない。病気になっても、迷信混じりの治療しかない。女性や使用人をはじめ、多くの人々が政治的にも社会的にも一人前には扱われず、選挙権や財産権を認められていないことが多い。

このようにみてくると、現代の世界の基本ができあがったのは、この18世紀末から19世紀の初めのころであることがわかる。しかも、その変化は他のどの国よりも、まずイギリスにおいておこったといえる。このように考えて、この大転換を「産業革命」と呼んだのは、スラムの改良運動をおこなっていたイギリスの学者アーノルド・トインビー(1852〜1883)であった。19世紀後半に活躍したトインビーには、都市のスラムの生活にみられる貧困や病気、犯罪などの社会問題は、この「産業革命」が生み出した弊害である、と思われたのである。

しかし、「産業革命」には、国全体をみれば、生産力を高め伝統的な社会にみられた貧困を解消する一面もあった。だから、やがて、産業革命はむしろ人類に好ましい結果をもたらしたのだ、と考える歴史家も現れた。とくに、現代のいわゆる第三世界の国々が、いずれも産業革命(工業化)といえるものを経験していない国であることを考えれば、産業革命こそが「開発された」「北」の諸国の高い生活水準をもたらしたのだ、と考えることもできる。

したがって、良い意味でも悪い意味でも、産業革命こそは現代の世界が生まれてきたきっかけであった、といえる。

欧米における近代社会の成長年表

関連事項
1700北方戦争(〜1721)
1701スペイン継承戦争(〜1713)
1707グレートブリテン王国成立
1714英、ハノーヴァー朝(〜1917)
1740普、フリードリヒ2世(プロイセン王)即位
オーストリア継承戦争(1748)
1756七年戦争(〜1763)
1763パリ条約
このころイギリスで産業革命始まる
1769英、ジェームズ・ワット、蒸気機関改良
1772第一回ポーランド分割
1773ボストン茶会事件
1775アメリカ独立戦争(〜1783)
1776アメリカ独立宣言発表
1783
パリ条約
1789フランス革命勃発、ワシントン、初代大統領就任
1792仏、第一共和制
1794テルミドール9日のクーデタ
1795第三回ポーランド分割
1799ブリュメール18日のクーデタ
1802アミアンの和約
1804ナポレオン、皇帝即位(第一帝政)
1812ナポレオンのロシア遠征
1814ナポレオン退位、ウィーン会議
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