ヒンドゥー教とイスラーム教 クトゥブ・ミナール クトゥブッディーン・アイバク
アイバクが建造したミナレット。クトゥブ・ミナール 世界遺産「デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群」 (写真: Wikipedia)

ヒンドゥー教とイスラーム教

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ヒンドゥー教イスラーム

神との直接的接触を求める神秘主義には、ヒンドゥー教のバクティ信仰と共通するものがあり、スーフィーによる民間でのイスラームの布教を容易にした。
インドにはムスリムの到来以前にもギリシア人や中央アジア系民族によって異文化が持ち込まれたが、それらは数世代たつうちにインド文明に同化、吸収されたが、イスラーム教は、インドの大地で今日にいたるまで独自性を維持し続けた。

ヒンドゥー教とイスラーム教

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム教は偶像崇拝を禁ずる一神教であり、多数の神々の偶像を崇拝するヒンドゥー教とは性格を大いに異にしていた。また、ヒンドゥー教が牛を神聖視してその肉を食べないのに対し、イスラーム教徒は豚を不浄視してその肉を食べない。さらに霊魂の輪廻転生を信ずるヒンドゥー教が遺体を火葬にして灰を川に流すのに対し、復活を信ずるムスリムはキリスト教徒などと同じ土葬である。

初期のムスリム侵入者たちは、ジハード(聖戦)を唱えてヒンドゥー教寺院を破壊したり改宗を強要したりしたため、社会の混乱は大きかった。しかし彼らは、永続的なインド支配を目指すようになるとしだいに態度を和らげ、インド社会に適応するようになった。
たとえば、征服地はムスリムの貴族や部将に封与されたが(イクター制)、地方行政や徴税は旧来の機構や有力者に任せるという現実的政策が採用されたのである。したがって、カースト制度に基礎をおく村落社会と、そこで信仰されていたヒンドゥー教はそのまま存続することになった。ヒンドゥー教徒はジズヤをおさめることによって旧来の信仰を認められたのである。しかし、旧支配層のなかには、保身のためイスラーム教に改宗したものもあり、また下層民の間ではアッラーの前に人間は平等であると説くイスラーム教に接して改宗するものもでた。前者の改宗は一般に個人的になされたのに対し、後者の改宗はカースト仲間の集団改宗というかたちをとった。

こうしたイスラーム教の浸透にあたり大きな役割を果たしたのはスーフィーと呼ばれるイスラーム神秘主義者たちであった。神との直接的接触を求める神秘主義には、ヒンドゥー教のバクティ信仰と共通するものがあり、スーフィー行者の修行生活は、ヒンドゥー教の行者の生活とよく似ていた。こうしたことが、スーフィーたちによる民間での布教を容易にしたのである。

しかしインド亜大陸全体の人口の割合からいえば、改宗者は少数派であった。ムスリムのインド支配は数世紀におよぶが、多くの改宗者をだしたのはヒンドゥー教世界のなかでは辺境にあたるインダス川流域と東部ベンガルであった。インドにはムスリムの到来以前にもギリシア人や中央アジア系民族によって異文化が持ち込まれたが、それらは数世代たつうちにインド文明に同化、吸収されてしまった。これに対しイスラーム教は、インドの大地で今日にいたるまで独自性を維持し続けてきたのである。

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