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辛亥革命

(第一革命)

  • 1911年5月 幹線鉄道国有化宣言
  • 9月 四川暴動
  • 10月 武昌起義
  • 11月 24省中14省が独立宣言
  • 1912年1月 中華民国建国・孫文臨時大総統就任
  • 2月 宣統帝退位・清朝滅亡

辛亥革命

1911年5月、清朝政府は英・米・独・仏の四国借款団しこくしゃっかんだんから借款をうける担保とするため、民営鉄道の国有化を宣言した(幹線鉄道国有化)。このことは、外国から利権を回収して民営の鉄道建設を進めようとしていた民族資本家や地方有力者を憤激させ、とくに四川保路しせんほろ同志会を結成して激しい国有化反対運動を展開していた四川省では、9月、暴動が発生するにいたった(四川暴動)。こうした情勢下に10月10日、革命派の影響力の強かった湖北こほく武昌ぶしょうの新軍が武装蜂起をおこし、新軍の指揮官黎元洪れいげんこう(1864〜1928)を都督(省の軍・民政の長官)に推戴して、清朝からの独立を宣言した(武昌起義ぶしょうきぎ)。これが辛亥革命の始まりである。武昌起義に始まる革命の火は、たちまち中国全土に波及し、11月末までに24の省のうち14省が清朝からの独立を宣言した。12月、南京に集まった革命派と独立各省の代表は、孫文を臨時大総統に選出し、1912年1月1日、中華民国の建国を宣言して、南京に臨時政府を発足させた 。ここにアジアにおける最初の共和国が誕生した。

辛亥革命と外国資本の進出地図
辛亥革命と外国資本の進出地図 ©世界の歴史まっぷ

革命の勃発に対し、清朝側は最強の北洋新軍を手兵として握っていた実力者袁世凱えんせいがいを内閣総理大臣に任命し、軍・政の全権を委任して革命鎮圧に期待をかけた。しかし、ひそかに清朝にかわる中国の支配者となる野心を抱いていた袁は、かえって革命派との取り引きに乗りだし、革命派との間に、清帝の退位、共和政の実現とひきかえに、袁が臨時大総統に就任するという協定を成立させた。この結果、1912年2月、清朝最後の宣統帝せんとうてい溥儀ふぎ 位1908〜12)は退位を迫られ、ここに清朝の支配(および秦の始皇帝以来の中国の王朝支配体制)は終わりを告げた。武昌起義以来、ここまでの過程を一般に第一次革命と呼ぶ。

同時に1912年をもって「民国元年」とし、陰暦のかわりに太陽暦を使用することが決定された。なお10月10日は「双十節そうじゅうせつ」として中華民国の建国記念日とされた。

参考

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