武帝の政治 前漢 前漢の最大領域と張騫の行路地図
前漢の最大領域と張騫の行路地図 ©世界の歴史まっぷ
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武帝の政治

武帝は、諸侯に対して推恩の令を発布してその勢力をいっそう弱め、また地方長官の推薦による官吏の任用をはかり(郷挙里選)、董仲舒の提案によって儒学が官学とされ、礼と徳の思想による社会秩序の安定化がめざされた。

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武帝の政治

紀元前2世紀後半の世界地図
紀元前2世紀後半の世界地図 ©世界の歴史まっぷ

武帝(漢)は、諸侯に対して推恩の令すいおんのれいを発布してその勢力をいっそう弱め、また地方長官の推薦による官吏の任用をはかり(郷挙里選きょうきょりせん)、董仲舒とうちゅうじょの提案によって儒学が官学とされ、礼と徳の思想による社会秩序の安定化がめざされた

これまで嫡子ちゃくしのみが相続していた諸侯の領土を、必ず子弟に分けて相続させるように命じたもの。これを推恩の令といい、この結果、諸侯の領土は分割縮小され、その勢力は弱体化して、中央集権化をいっそう進めることになった。

さらにはじめて元号を定めるなど、皇帝の権力をいっそう強化して中央集権体制を確立した。こうして武帝の時代に漢帝国の最盛期が出現した。

武帝は、対外的には祖父の文帝(漢)、父の景帝(漢)2代の努力によって蓄積された国家財政の充実を背景に、積極的な軍事行動をおこなった。

彼は北方の匈奴に対しては、劉邦以来の消極策を改め、将軍の衛青えいせい霍去病かくきょへいらに命じて数回にわたって攻撃を加え(紀元前129以降)、苦戦の末に匈奴をゴビ砂漠の北に追いやった。こうしてオルドスや河西地方(甘粛省)にも勢力をのばすことができた漢帝国は、オルドスに朔方さくほう郡、河西地方に敦煌とんこうなど4郡をおき、軍隊を駐屯させてその侵入に備えた。

また、武帝は即位後まもなく(紀元前139頃)張騫ちょうけんを西方の大月氏のもとに派遣し、匈奴を挟み撃ちにする約束をとりつけようとはかった。結局のところ、大月氏側にその意志がなかったため、その目的は果たせなかったが、これを契機に西域の事情が知られるようになった。

前漢の最大領域と張騫の行路地図
前漢の最大領域と張騫の行路地図 ©世界の歴史まっぷ
西域とは、中国人が西方一帯をさしていう呼称。範囲は時代によって異なる。漢は、西域36カ国といい、タリム盆地周辺のオアシス都市国家をまとめてこのように称した。

そののち武帝は張騫を烏孫うそんに使者として派遣したり、服属を拒否した大宛だいえん(フェルガナ)に遠征したりして、タリム盆地の諸都市にまで支配を広げた。

南方では、秦の滅亡に乗じて自立した南越なんえつを征服し(紀元前111)、ベトナム北部を支配下に入れ、南海など9郡をおいた。
また東北では、衛氏朝鮮を滅ぼして(紀元前108年)、朝鮮北部に楽浪らくろう真番しんばん臨屯りんとん玄菟げんとの4郡をおき直轄地とした。

衛氏朝鮮:紀元前2世紀末に中国から亡命した衛満えいまん、が朝鮮西北部にたてた国。

しかしながら、度重なる外征によって、豊かであった国家財政は苦しくなった。そこで武帝は新たな貨幣(五銖銭)を鋳造し、塩・鉄・酒の専売をおこない、均輸法平準法を実施するとともに商人に重税を課し、官位・官職を売り、罪人でも金銭をおさめるものは罰を免除するなどの政策を実施して財政の立て直しをはかった。その結果、民衆は重い負担に苦しみ、社会不安はしだいに激しくなった。

均輸法・平準法

  • 均輸法は、地方に均輸官をおき、政府が必要とする物品の購入と中央への輸送を担当させたもので、これによって商人の中間利潤を防ぎ国家財政の充実をはかった。(紀元前115施行)
  • 平準法は、地方で物価が下がると均輸官が購入して中央へ送り、都におかれた平準官がこれを貯蔵し、物価が騰貴するとこれを販売して物価を引き下げることをはかった。(紀元前110施行)

これらの政策は、政府が商品の運搬および物価の統制をおこなうことによって、大商人の利潤を抑え、国家収益の増加をはかろうとしたものである。

武帝ののち、宣帝(漢)のとき、国家財政の再建がはかられたが、十分な成果をあげるまでにはいたらなかった。そののち、宮廷内部では外戚宦官の専横を招き、皇帝の権威は失われていった。

外戚とは皇后や妃の親族のことで、その地位を利用して高位高官にのぼった。宦官とは、後宮に仕えた去勢された男子。ともに皇帝の身近に仕えたことから、しばしば権力を握り弊害をもたらすものも現れた。

また、地方では土地を兼併けんぺいして勢力を増した豪族がしだいに成長していき、地方政治を握るまでになっていた。こうしたなかで、ついに外戚の王莽おうもうは儒教をたくみに利用して帝位を奪い、前漢を倒して新(中国)を建国した(8年)。

大宛遠征と汗血馬

張騫の報告した西方のめずらしい産物のうちで、武帝(漢)が特に注目したのは大宛(フェルガナ)の汗血馬かんけつばであった。漢では天馬てんばといわれ、1日に千里走り、血の汗を流したといわれる。李広利りこうりの大宛遠征では、3000頭の名馬を連れて帰った。大宛は、東西交通の要衡にあたるため、これ以前にもアケメネス朝ペルシアや、それに続くアレクサンドロス3世の征服を受けている。

武帝(漢)が登場する作品

美人心計

美人心計 武帝(漢)
劉徹
前漢の初代皇帝・高帝(劉邦)の死後、呂雉の専横から第7代皇帝・武帝時代の竇漪房の一生を描いている宮廷ドラマ。
美人心計 登場人物とあらすじ – 世界の歴史まっぷ
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前漢皇帝系図

前漢皇帝系図
前漢皇帝系図 ©世界の歴史まっぷ

参考

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