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東南アジアの民族運動

  • フランス領インドシナ:維新会
  • インドネシア:ブディ=ウトモ・サレカト=イスラーム
  • フィリピン:フィリピン革命・フィリピン=アメリカ戦争

東南アジアの民族運動

アジア・アフリカにおける植民地化に対する抵抗運動地図
アジア・アフリカにおける植民地化に対する抵抗運動地図 ©世界の歴史まっぷ

ベトナム

フランス領インドシナでは、1904年にファン=ボイ=チャウ Phan Boi Chau (潘佩珠, 1867〜1940)らが維新会を組織し、ベトナムの独立回復と立憲君主制をめざした。フォン=ボイ=チャウは翌年日本に渡り、ベトナム青少年を日本に留学させることを目的としたドンズー運動 Đông Du (東遊運動)を始めている。これは日露戦争がアジアの民族運動に与えた刺激のひとつの現れであったが、フランスの要請をうけた日本政府に迫害され、3〜4年で消滅した。チャウは辛亥革命の直後に広東でベトナム光復会を組織してフランスに対する武力闘争を試みたが、投獄されたこともあって十分な活動はできずに終わった。一方、これと同じころファン=チュ=チン Phan Chu Trinh (潘周楨, 1872〜1926)などによる啓蒙的近代化運動 もおこなわれている。

1907年にハノイに設立された東京義塾トンキンぎじゅくがこの運動の拠点となった。

インドネシア

インドネシアでも、20世紀に入ると、都市の知識人やイスラーム教復権を求める者たちの間に民族意識が高まった。そして1908年にジャワ人の向上をめざす穏健的な民族団体ブディ=ウトモ Budi Utomo (最高の英知)が組織された(〜1935)。また1911年にはイスラーム教徒の団結と相互扶助を掲げたサレカト=イスラーム Sarekat Islam (イスラーム同盟)が組織されている。この同盟がオランダの支配に抵抗した運動を展開するのは第一次世界大戦期からである。

フィリピン

フィリピンの民族運動も、都市の知識人階級によって始められた。初期の民族主義者のなかでは、言論活動(プロパガンダ運動)をつうじてスペインの植民地支配を批判したホセ=リサール José Rizal (1861〜96)が名高い。彼が処刑された1896年は、秘密結社カティプーナン Katipunan による植民地支配打倒闘争(フィリピン革命)が勃発した年でもあった。革命はつまづき、指導者アギナルド Aguinaldo (1869〜1964)は香港へ亡命したが、1898年にアメリカ=スペイン戦争が始まると、彼は帰国して闘争を再開し、翌年フィリピン共和国の樹立を宣言した。しかし、1898年末のパリ条約でフィリピンの領有権を獲得したアメリカはこれを認めず、両国の間に戦端が開かれた(フィリピン=アメリカ戦争, 1899〜1902)。戦争はアメリカが勝ち、アメリカによるフィリピン植民地の統治が開始された。これ以後アメリカは資本を投入してフィリピンを経済的に従属させるとともに、政治制度や教育制度の改革をつうじてこの国のアメリカ化を推し進めた

アメリカのフィリピン統治のもとでプロテスタントの布教も進められたが、カトリックの厚い壁を崩すことはできず、今日プロテスタント人口は全キリスト教徒の3%にすぎない。

参考

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