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ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
ラテンアメリカの独立地図 ©世界の歴史まっぷ

ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗

白人とインディオの混血をメスティーソ、白人と黒人の混血をムラート、インディオと黒人の混血をサンボという。人種の坩堝というべきこの混血社会をカスタ社会と呼び、社会の下層を形成して大きな貧富の差に苦しんだ。

ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗

メキシコ以南のラテンアメリカ諸国は独立後、欧米にならった憲法と法体系を整え、共和政を採用した。しかし、植民地時代の社会構造が独立後も維持され、大土地所有制度に基礎をおくカウディーリョ caudillo という軍人頭領のボス政治が横行した。カウディーリョの支配は独立後の混乱に政治的安定をもたらしたものの、少数の白人(クリオーリョ)の富裕階級の利益に奉仕する寡頭政治体制がしかれ、民主主義の発展は阻害された。人口の大多数を占めるインディオ・黒人・混血たち は社会の下層を形成して大きな貧富の差に苦しみ、参政権も阻まれた。カウディーリョ間の抗争が内乱に発展することも珍しくなく、国境紛争も少なくなかった。そのようなカウディーリョのひとりであるメキシコのサンタ=アナはアメリカとの戦争(アメリカ=メキシコ戦争, 1846〜48)でカリフォルニアを割譲するなど国土の半分を喪失した(arrow_forward 合衆国の対外発展とメキシコ)。

ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗 ラテンアメリカの独立 ラテンアメリカの独立地図
ラテンアメリカの独立地図 ©世界の歴史まっぷ
白人とインディオの混血をメスティーソ、白人と黒人の混血をムラート、インディオと黒人の混血をサンボという。人種の坩堝るつぼというべきこの混血社会をカスタ社会と呼ぶ。

ラテンアメリカ諸国の独立にはイギリスの支持が重要な意味をもったが、南アメリカの市場は19世紀末までイギリスが支配した。アメリカ合衆国は1840年代にメキシコから領土を奪う一方で、パナマ地峡に進出するなど中央アメリカ・カリブ海地域に強い関心を寄せた。1826年、シモン=ボリバルarrow_forward ラテンアメリカの独立)の提唱でラテンアメリカ諸国の共同防衛同盟の結成をめざす会議がパナマで開かれたが、結局不調に終わった。その後も同様の会議は何度か開かれたが、諸国間の連帯の欠如と相互の利害対立から失敗に終わった。アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国の西半球への影響を排除するモンロー主義の立場にたつ一方で、1889年に第1回パン=アメリカ会議を開いた。それはアメリカとラテンアメリカ諸国との間の友好と経済関係を促進することをねらいとしたが、アメリカのパン=アメリカニズムには実際には西半球における行動の自由と優越を確保しようという意図が隠されていた。こうしてアメリカはイギリス・スペインなどの影響を排除し、ラテンアメリカ全般に強い指導力を行使した。1898年のアメリカ=スペイン戦争を通じてアメリカはプエルトリコを自治領とし、キューバを事実上の保護国とした。さらにパナマ運河arrow_forward アメリカ合衆国)を完成させたあとは、ニカラグア・ハイチ・ドミニカなどの内政に軍事干渉するなど帝国主義政策を展開した。

19世紀後半になるとカウディーリョ支配にかわって安定的な政治制度が樹立されるようになった。経済進出をはかるイギリスなどの欧米諸国も政治の安定化を熱望した。1870年代に入って第2次産業革命を達成した欧米諸国はラテンアメリカに積極的な投資を進めた。大土地所有者などのエリート層はこの動きに呼応し、先進工業国の必要とする原材料や小麦・食肉などの生産と輸出を拡大するかわりに、自国市場を先進国の工業製品に開放していった。こうして、ラテンアメリカにはモノカルチャー経済の従属的発展をとげることになった。アルゼンチンのパンパは世界有数の農牧地帯となり、ブラジルコロンビアはコーヒーを輸出し、ペルーチリ硝石しょうせきを産出した。このようなラテンアメリカの開発とともに労働力需要も高まり、1871年から第一次世界大戦勃発前までにブラジルには200万人、アルゼンチンには250万人がヨーロッパから移住して来た。

メキシコでは1860年代フアレス大統領を中心とする自由主義派勢力がモンロー主義を主張するアメリカ合衆国の支援をうけながらフランスのナポレオン3世の干渉を退け、その後も近代化のための改革を推進した。つぎに大統領になったディアス Diaz (任1877〜80, 84〜1911)はフランスのメキシコ干渉戦争で活躍した将軍で、権力を握ると35年間におよぶ独裁政治(1877〜1911)をおこなった。国内政治は安定し外資を導入する環境を積極的に整えた。そのため鉄道網が整備されるなど経済開発が進んだが、鉄道や鉱山・石油の大半を、それに土地を外国資本が所有し、農民層の貧困は続いた。初期的な工業化も進み、労働者は劣悪な労働条件に不満を抱いた。そこで独裁政治への批判が高まり、1910年に地主出身で開明的な自由主義者のマデロ Madero (1873〜1913)、農民運動の指導者サパタ Zapata (1879頃〜1919)らが合衆国のウィルソン大統領の支援の下に革命をおこし、ディアスを追放した。1917年には民主的憲法が定められ、「土地・地下資源・水」を国家管理とすること、勤労者の権利などを定めた。この憲法下で政教分離と教会財産の没収、農地改革と外国資本の国有化などが遂行された(メキシコ革命)。

参考

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