七月革命とその影響 七月革命
民衆を導く自由の女神(ウジェーヌ・ドラクロワ画/ルーヴル美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

七月革命


七月革命 (1830年7月27・28・29日)
フランス復古王政のシャルル10世(フランス王)の反動政治に対抗して、ブルジョアジーの指導のもとパリ市民が蜂起し、絶対主義体制を倒して七月王政を出現させた革命。「栄光の3日間」といわれる。ヨーロッパ各国の革命運動に影響を与え、ウィーン体制の崩壊へつながった。

七月革命

世界史対照略年表(1700〜1900)詳細版
世界史対照略年表(1700〜1900)詳細版 ©世界の歴史まっぷ

1830年7月シャルル10世(フランス王)の反動政治に対抗して、ブルジョアジーの指導のもとに行われた革命。王政復古後即位したブルボン朝ルイ18世(フランス王)の発布した憲法は、一応法の前の平等、所有権の不可侵、基本的人権をうたうものであったが、極端な制限選挙制度、貴族院の優位を規定していた。次いで即位したシャルル10世(フランス王)は、上層ブルジョアの利益にこたえてルイ18世(フランス王)が採用した保護関税政策をさらに強化した。しかし27年からの経済危機はこの上層ブルジョアと土地貴族との連合を不可能にし、また自由主義ブルジョアの保護関税政策への批判が始った。シャルル10世(フランス王)は、これら自由主義ブルジョアに対抗して30年5月議会の解散を命じ、議会の破壊にもつながる「七月勅令」を発布して反動政治を強行しようとした。これをきっかけとして七月革命が起った。7月27日から29日にかけての3日間は「光栄の3日間」 Les trois glorieuses といわれ、シャルル10世(フランス王)に反対するパリの労働者、小市民、学生、中小の商工業者が立上がった。しかし、民衆の期待した共和政は抑えられ、大銀行家 J.ラフィットを中心とする自由主義政治家によって、新たなブルジョア支配の体制に向って事態は収拾され、金融貴族のもとにオルレアン公ルイ・フィリップが即位、いわゆる「七月王政」が開始された。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

欧米における近代国民国家の発展

ウィーン体制

七月革命とその影響

ブルボン家の復活したフランスではルイ18世(フランス王) Louis XVIII (位1814〜24)が即位し、憲章という名称を使った憲法を制定し、市民の選挙権を大幅に制限し、反動的政治を進めた。ついでシャルル10世(フランス王) Charles X (位1824〜30)が即位すると亡命貴族に財産を保証したり、軍隊の統帥権を掌握したりして反動的政治をさらに推し進め、国民の不満を外にそらすためにアルジェリア出兵をおこなった。1830年5月、国王は内閣不信任案を決議した議会を解散したが、7月の選挙では国王による選挙妨害を乗りこえて270対145で国王反対派が多数を占めたので、召集前に解散命令を出し、選挙結果を無視し、さらに出版に厳重な統制を加えた。

このため市民は7月27日にパリにおいて決起し、「栄光の3日間」といわれる戦闘がおこなわれて、国王側は敗北した。革命派内部では共和派と立憲王政派との対立があり、その妥協策として自由主義者として知られていたオルレアン家ルイ=フィリップ Louis-Philippe (位1830〜48)が国王(「フランス国民の王」)となり、やや緩和された制限選挙制の立憲君主政が成立した。これを七月王政という。

正統主義 ウィーン体制 ウィーン会議 ウィーン体制下のヨーロッパ地図
ウィーン体制下のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

七月革命 Révolution de Juillet によってウィーン体制の一部が崩壊したことは、ヨーロッパ各国に衝撃を与えた。オランダの支配下にあった南ネーデルラント(ベルギー 地図❷)では同年8月ブリュッセル Brussels において暴動が発生し、10月独立宣言が発せられて臨時政府が樹立され、レオポルド1世(ベルギー王) Leopold I (位1831〜65)が王位についた。翌31年ロンドン会議で独立が承認され、1839年永世局外中立国として承認された。ドイツではザクセンなどで民衆の立憲運動が暴動化したが、その一方で1831年アメリカから帰国した経済学者リスト F.List (1789〜1846)の思想的影響をうけて、1834年ドイツ関税同盟 Zollverein が発足し、経済的統一がほぼ完成した。

イタリアでは、カルボナリが放棄したが失敗し(カルボナリの反乱)、その党員であったマッツィーニ Mazzini (1805〜72)は亡命先であるマルセイユにおいて秘密結社から大衆政党へと脱皮すべく「青年イタリア」 Giovine Italia を結成した。イギリスでは国内経済の停滞もあって地主支配への不満が高まり、32年には腐敗選挙区を廃止する第1回選挙法改正が実現している。その他、スペインでは立憲運動と王位をめぐる争いが深刻化し、カルリスタ戦争 Guerras Carlistas (第1次 1833〜39)が勃発する一方、ポーランドではロシアの支配から離脱をめざす反乱が11月発生し、臨時政府が樹立されたがロシア軍に鎮圧され、自治権が大きく制限されて、ロシアの軍事的監視下におかれ、ロシア化が進行することになった(ポーランド反乱)。

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