ロンドン万国博覧会(1851)
ロンドン万国博覧会 水晶宮(1851)(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ロンドン万国博覧会(1851)


ロンドン万国博覧会(1851)
世界初の万国博覧会。総ガラス張りの「水晶宮」を主会場に開かれ、40ヶ国が参加した。イギリスの技術は他の諸国を圧倒し、イギリスの経済的優位をみせつけた。また、トマス=クックら旅行業者が企画して多くの団体客を送りこみ、見学者が600万人を数えるイベントとなり、旅行が大衆の娯楽となる景気にもなった。

ロンドン万国博覧会(1851)

欧米における近代国民国家の発展

ヨーロッパの再編

イギリスのヴィクトリア時代
ロンドン万国博覧会

1851年に開催された、世界初の万国博覧会。40ヶ国が参加したこの博覧会は、イギリスの技術力の象徴となった総ガラス張りの「水晶宮」を主会場に開かれた。また、トマス=クックら旅行業者が企画して多くの団体客を送りこみ、見学者が600万人を数えるイベントとなり、旅行が大衆の娯楽となる景気にもなった。

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この時代の象徴は1851年ロンドンで開催された世界最初の万国博覧会(第1回万国博覧会)であった。水晶宮に代表されるイギリスの技術は他の諸国を圧倒し、イギリスの経済的優位をみせつけた。万博をひと目みようとイギリス国内からも大勢の労働者が集まった。それを可能にしたのが鉄道の発達であり、労働者は貯金の積立をおこない、トマス=クックの旅行者などの団体旅行に参加してロンドンにやってきた。「飢餓の40年代」をすぎると労働者の生活水準はしだいに向上し、従来の闘鶏や熊いじめなどのブラッドスポーツ blood sprts にかわって合唱・ブラスバンドなどいわゆる健全な娯楽が普及し、ブルジョワを模倣して海水浴や海岸地帯のリゾート施設に人々が集まるようになった。

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ギャラリー

ロンドン万国博覧会(1851) 開会式(Louis Haghe画/ヴィクトリア・アルバート博物館蔵/WIKIMEDIA COMMONS) ©Public Domain
ロンドン万国博覧会(1851)(WIKIMEDIA COMMONS) ©Public Domain
ロンドン万国博覧会(1851)
ロンドン万国博覧会 水晶宮(1851)(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

1851年にヴィクトリア女王の夫アルバート(ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)を総裁に世界初の万国博覧会がロンドンで開催された。会場となったクリスタル=パレス(水晶宮)は、パクストンの設計によるもので、29万3655枚のガラスや鉄鋼が使用されるなど、イギリスの工業力・経済力を反映させたものであった。パクストンから客集めの依頼をうけたトマス=クックは、鉄道切符・宿泊・万博入場チケットをあわせた安価なパック団体旅行を売り出した。ロンドン万博の会期中の入場者は600万人をこえたが、トマス=クックはそのうち約2.75%にあたる約16万5000人を送りこんだ。 参考: 山川 詳説世界史図録

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