ナントの王令
ナントの王令 ©Public Domain

ナントの王令


ナントの王令 A.D.1598〜

ナントの王令(勅令)は、アンリ4世(フランス王)が発布した勅令。カトリックの優位を認めたうえで、ユグノーなどのプロテスタントをも保護するというもので、ヨーロッパで、個人に宗教選択の自由を認めた最初の王令となる。この結果、ユグノー戦争を集結し、フランスは国民の統合と経済再建に向かって歩み始めた。

ナントの王令

ヨーロッパ主権国家体制の展開

ヨーロッパ主権国家体制の形成

フランス宗教戦争〜改革と狂信

アンリ3世(フランス王)が暗殺されてヴァロワ朝が絶えると、1589年、ナバラ王であったブルボン家のアンリがフランス国王位に登った(アンリ4世(フランス王)(位1589〜1610))。プロテスタントであったアンリ4世は、即位に際してカトリックに改宗し、この一方、1598年にはナントの王令を発して、ユグノーにも信仰の自由と市民権を認める政策をとった。こうして、内乱はようやく収拾され、フランスの王権は急速に強化された。

フランス宗教戦争〜改革と狂信 – 世界の歴史まっぷ

フランスにおける絶対王政の成立

長期の猖獗しょうけつをきわめた宗教戦争で、分裂し荒廃しきったフランスの再建がアンリ4世(フランス王)の課題であった。ナントの王令は、カトリックの優位を認めたうえで、プロテスタントをも保護しようという妥協的なものであった。宗教改革が、この国ではついにこのような妥協的なかたちしかとりえなかったのは、かねてフランスのカトリック教会がローマ教皇からは独立的な傾向を持っていた(「ガリカニズム」という)ため、世俗利害との結びつきが強く、批判勢力としてのプロテスタンティズムがある程度以上は強くならなかったからである。
とはいえ、この結果、1685年に同王令が廃止されるまで、それまで異端として退けられたいたプロテスタントにカトリックとの共存の道が開かれることになり、フランスは国民の統合と経済再建にむかって歩みはじめる。

フランスにおける絶対王政の成立 – 世界の歴史まっぷ

略年表

ヨーロッパ主権国家体制の展開

1562ユグノー戦争(〜98)
1571レパントの海戦
1572サン・バルテルミの虐殺
1580スペイン、ポルトガルを併合
1581オランダ独立宣言
1588イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦
1589フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝
1598フランス、ナントの王令、ユグノー戦争終結
1603イギリス、シュチュアート朝(〜1714)
1607イギリス、ヴァージニア植民地設立
1613ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917)
1618ドイツ三十年戦争(〜48)
1620メイフラワー号、プリマス着
1628イギリス、権利の請願
1640イギリス、ピューリタン革命開始(〜49)
1643フランス、ルイ14世即位(〜1715)
1648ウェストファリア条約
1649イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60)
1651イギリス、航海法
1652イギリス・オランダ戦争(〜74)
1653イギリス、クロムウェル、護国卿となる
1660イギリス、王政復古
1682ロシア、ピョートル1世即位(〜1725)
1688イギリス、名誉革命
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