第1次ロシア革命
第1次ロシア革命(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

第1次ロシア革命


第1次ロシア革命 A.D.1905〜

血の日曜日事件を発端に始まった革命運動。全国各地で、都市労働者の反政府運動や農民の土地要求闘争、ブルジョワジーの立憲運動が激化した。労働者と農民の運動は、十月宣言でブルジョワジーの姿勢が軟化したのち、軍によって鎮圧された。

第1次ロシア革命

血の日曜日事件を発端に始まった革命運動。全国各地で、都市労働者の反政府運動や農民の土地要求闘争、ブルジョワジーの立憲運動が激化した。労働者と農民の運動は、十月宣言でブルジョワジーの姿勢が軟化したのち、軍によって鎮圧された。

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帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

ロシア

日露戦争で敗戦が相つぐなか、1905年1月22日(ロシア暦9日)、司祭ガポン Gapon (1870〜1906)に率いられたペテルブルクの労働者やその家族10万人が皇帝に労働時間の短縮や戦争の中止を請願しようとした。しかし、この平和な行進に軍隊が発砲し多数の死傷者をだし、ロシア皇帝への崇拝の念はゆらいだ。この血の日曜日事件に抗議して全国各地で労働者がストライキを決行し、被抑圧民族や農民も蜂起した(第1次ロシア革命)。

血の日曜日事件
血の日曜日事件(アンジェロ・アゴスティーニ画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

奉天会戦での敗北(3月)、バルト海艦隊の壊滅(5月)によってロシア指導部が動揺するなか、黒海艦隊のポチョムキン号で水兵の反乱(戦艦ポチョムキンの反乱)もおきた。10月に革命は最高潮に達し、労働者・鉄道員・学生・商店主・市民・役人を含む大規模なゼネストが全国に広まり、交通・通信はストップした。この革命の際にペテルブルクで労働者代表の自治組織ソヴィエト Soviet (評議会)が初めてつくられ、ロシア社会民主労働党や社会革命党が結集した。皇帝ニコライ2世(位1894〜1917)はヴィッテら自由主義者たちの進言にもとづいて十月宣言を発し、立法権をもつ国会ドゥーマ Duma )の開設と市民的自由を認めた。これをうけて自由主義者たちは議会活動にむけて立憲民主党(カデット)などの政党を結成したのに対して、ソヴィエトはモスクワで蜂起したが鎮圧され、革命運動には厳しい弾圧が加えられた。

帝国主義時代のヨーロッパ諸国 ロシア

ロシア国内ロシア国外
1870代ナロードニキ運動激化中央アジアへの進出
1878ヴェーラ=ザスーリチのテロ → テロリズム増加1868ブハラ=ハン国保護国化
1881アレクサンドル2世暗殺1873ヒヴァ=ハン国保護国化
アレクサンドル3世即位(〜94)1876コーカンド=ハン国併合
革命運動弾圧激化1873三帝同盟締結(独・墺・露)
ユダヤ人に対する迫害激化1877ロシア=トルコ戦争(〜78)
1891シベリア鉄道着工(フランスの資本導入)→ ロシアの産業革命本格化1878サン=ステファノ講和条約 → バルカン半島に勢力拡大
1894ニコライ2世即位(〜1917)1878ベルリン会議 → ベルリン条約締結 ロシアのバルカン半島への南下阻止
1898ロシア社会民主労働党結成1881イリ条約締結
1901社会革命党結成1997独露再保障条約締結(〜90)→ フランスの孤立化
1903社会民主労働党分裂1891シベリア鉄道着工
ボリシェヴィキレーニン1894露仏同盟完成
メンシェヴィキ(プレハーノフ)1895三国干渉
1905血の日曜日事件(第1次ロシア革命)1900義和団事件で満州占領
戦艦ポチョムキンの反乱1904日露戦争(〜05)
十月宣言
1906国会(ドゥーマ)開設
トルイピンの改革1907英露協商締結

アジア諸国の改革と民族運動

日露対立と列強

1904(明治37)年2月、日本は仁川じんせん旅順りょじゅんのロシア艦隊への奇襲によって開戦にふみきり、日露戦争が始まった。日本軍は1905年1月、多大の犠牲の末に旅順要塞を陥落させ、3月の奉天会戦でロシア陸軍主力を破り、5月の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅するなど軍事的勝利を重ねたが、国力はもはや限界に達していた。一方、ロシア側も1905年1月の血の日曜日事件に始まる第1次ロシア革命 ロシア)の勃発により、戦争継続が困難な状況となっていた。こうした情勢のもとで、アメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトの調停により、1905年8〜9月、アメリカ東海岸のポーツマス Portsmouth で講和会議が開催され、日本全権小村寿太郎とロシア全権ヴィッテの間で、ポーツマス条約が結ばれた。この条約で、日本は朝鮮半島における全面的な優越権(韓国に対する保護権)を認められたほか、遼東半島南部(旅順・大連などの関東州)の租借権、東清鉄道南満洲支線(南満州鉄道) の利権、北緯50度以南の南樺太(サハリン南半)の領有権、沿海州の漁業権などを獲得した。

ロシアが敷設した東清鉄道の支線で、ハルビンと旅順を結ぶものであるが、このとき日本が獲得したのは、長春〜旅順間の利権であった。日本は、南満州鉄道会社(満鉄)を設立して、鉄道経営のほか、沿線の鉱山開発など多角的な事業を推進した。

帝国主義列強の展開流れ図

58.帝国主義列強の展開
帝国主義列強の展開流れ図
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