フランス革命 革命の勃発 球技場の誓い
球戯場〈テニスコート〉の誓い(ジャック=ルイ・ダヴィッド画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

球戯場の誓い


球戯場の誓い (テニスコートの誓い) A.D.1789〜
1789年5月5日始った全国三部会は、議決方法をめぐって貴族、聖職者、第三身分の3身分間に紛争が起り、第三身分の代議員たちはみずからを国民の代表として身分制議会を否定し、みずからの会を「国民議会」と宣言。6月20日議場が閉鎖されていたので、ヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法を制定するまで解散しないことを宣誓した。貴族、聖職者の一部も参加して、7月9日国民議会は「憲法制定国民議会」と改称。

球戯場の誓い

立憲君主制の成立
立憲君主制の成立 ©世界の歴史まっぷ

1789年6月20日フランス国民議会議員の間でなされた誓いをいい、フランス革命の発端となった。ジュー・ド・ポーム jeudepaume というのはラケットを用いないテニスともいうべき室内遊戯のこと。ルイ16世(フランス王)の招集によって全国三部会は同年5月5日始ったが、議決方法をめぐって貴族、聖職者、第三身分の3身分間に紛争が起った。第三身分の代議員たちはみずからを国民の代表として身分制議会を否定し、6月17日全国三部会の名称を改めて「国民議会」を結成した。これに対し国王は議場閉鎖を行うなど妨害工作に出たが、第三身分の代議員は6月20日ベルサイユ宮殿の球戯場に集合して、王国の憲法制定まで解散しないと誓い合った。やがて貴族、聖職者の一部も参加して、7月9日国民議会は「憲法制定国民議会」と改称された。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018

欧米における近代社会の成長

フランス革命とナポレオン

革命の勃発

第三身分は、議員の身分別資格審査を拒否し、身分別の投票でなく、個人別投票を要求、身分別のいかなる審議も拒否して特権身分と対立した。妥協策を探して1ヶ月をへたのち、1789年6月17日、一部聖職者議員を加えて集まった第三身分議員は、彼らのみが国民を代表しているとし、みずからの会を「国民議会」 Asemblee Narionaleと宣言した。6月20日、第三身分議員は、議場が閉鎖されていたので、宮殿の球戯場に集まり、憲法を制定するまで解散しないことを、1人をのぞき満場一致で宣誓した(球戯場〈テニスコート〉の誓い)。国王は聖職者と貴族に第三身分と合流することを勧告し、国民議会を承認した(6月27日)。国民議会は正式に憲法制定国民議会と改称し、憲法制定に着手した(7月9日)。国民議会の成立は革命的ではあったが、最終的には王の承認をえて、法に従って達成されたものであった。

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