永保寺開山堂 南北朝文化
永保寺開山堂 ©Public Domain

永保寺開山堂


Previous Post

Next Post

永保寺開山堂 えいほうじかいざんどう 国宝

岐阜県多治見市。夢窓国師示寂の翌年、仏徳禅師の没後20年の1352年、僊壺堂せんこどうを建立。 当初は祠堂しどう部分のみで、その後相の間を挟んで礼堂が増築され、現在の姿になる。 祠堂には右手に開創夢窓国師、左手に開山仏徳禅師の坐像が祀られ、 その奥には開山仏徳禅師の宝匡印塔が祀られてる。 また相の間には保寿院開山果山正位禅師坐像並びに虎渓山歴代の古位牌が祀られる。

永保寺開山堂

夢窓国師の示寂された翌年、仏徳禅師の没後20年の1352年、永保寺では僊壺堂(せんこどう)が建立されました。 当初は祠堂(しどう)部分のみでしたが、その後相の間を挟んで礼堂が増築され、現在の姿になりました。 祠堂には右手に開創夢窓国師、左手に開山仏徳禅師の坐像が祀られ、 その奥には開山仏徳禅師の宝匡印塔が祀られています。 また相の間には保寿院開山果山正位禅師坐像並びに虎渓山歴代の古位牌が祀られています。

参考 虎渓山 そこにあるのは禅 – 岐阜県多治見市の臨済宗南禅寺派永保寺

国宝データ

岐阜県
室町前期/1333-1392
外陣 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺
内陣 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺
相の間を含む
1棟
岐阜県多治見市虎渓山町
重文指定年月日:19010327
国宝指定年月日:19520329
永保寺
国宝

解説

永保寺の池の西の奥まったところにあり、永保寺の開山、元翁本元(1281-1332)をまつる堂である。禅宗寺院開山堂の典型で、礼堂にあたる外陣の昭堂と、開山の墓塔および頂相を安置する内陣の祀堂を、両下造化粧屋根裏の相の間で複合した形式になり、外観上の高低差の処理、昭堂と相の間を一連にした内部の構成がみごとである。様式からみると祀堂のほうがやや古いと思われ、江戸時代の『住持歴代』に開山塔を貞和3年(1347)の建立とするのは祀堂に相当すると考えられ、昭堂は南北朝時代の作であろう。
祀堂部分は高い壇上に建つ方一間裳階付の形式で、組物を三斗、裳階を板軒にして簡素な禅宗様式を示し、内部の後方に墓塔の宝篋印塔一基、中央に元翁本元夢窓疎石(1275-1351)の頂相を安置し、主屋上部を鏡天井とする。
方三間入母屋造の昭堂は本格的な禅宗様意匠を示し、詰組三手先組物を組み、軒を二軒の扇垂木とし、扉や窓には花狭間を用いる。昭堂の内部は相の間境に虹梁状の頭貫を用いて柱を省き、また、梁行一杯に虹梁をかけわたして内部に柱を立てず、相の間と一体の内部を構成する。昭堂上部は虹梁大瓶束架構で中央方一間部分の詰組二手先組物と鏡天井をうけ、また側回り組物から尾垂木尻が持送られる。両下造化粧屋根裏の相の間は両脇に腰掛を設け、正面の中央扉口と脇壇の構成も端正である。当堂は変化ある複合建築として内外構成の妙を発揮した禅宗様の優作である。

参考 文化遺産オンライン

広告
Previous Post

Next Post