完顔阿骨打
完顔阿骨打 Wikipedia

完顔阿骨打


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完顔阿骨打ワンヤンアクダ( A.D.1068〜A.D.1123)太祖(金)。
金(王朝)初代皇帝(在位1115〜1123)。阿骨打はツングース系の女真族の完顔部わんやんぶの首長だったが、女真族の統一を進め、1115年、遼から自立して上京会寧府を都に金と称した。中国内に広大な領域をもった金(王朝)は、猛安・謀克という軍事行政制度で自民族を、中国領は中国風の行政で収める二重統治体制をとった。

完顔阿骨打

宋の周辺民族

ツングース系の女真族。1115年、皇帝の位に就き、根拠地を流れる川の名をとって国号を金とした。遼(契丹)軍を相手に勝利を重ね、全女真族の統一を達成。さらに宋との間に同盟を結んで華北に攻め込み、西京大同府さいけいだいどうふ(山西省大同)から燕京えんけい(北京)に至る一帯を占領した。宋がそれまで遼朝に贈っていた歳幣とともに銭100万びんと糧食20万石を与えると約束したので、燕京以下6州を宋に割譲した。

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東アジア世界の形成と発展

1「飛鳥の朝廷」まとめ2/2 弥生・古墳時代 中国との交渉 東アジア世界の形成と発展 邪馬台国連合
東アジア世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東アジア諸地域の自立化

金の成立と西遼
中国東北地方の東部にある松花江しょうかこうの中流一帯で、半農・半牧の生活を営んでいたツングース系の女真じょしん族は、約200年にわたって遼(遼朝)の圧政下にあった。
やがて完顔部わんやんぶの首長である阿骨打あぐだは、急速に女真族の統一を進め、1115年、遼から自立して金(金朝 1115〜1234)を建国し、都を会寧府かいねいふ(現黒竜江省ハルビン市阿城区南白城)に定めた。
1114年、阿骨打は寧江州の戦いで遼軍を敗北させた。
パガン朝 吐蕃 東アジア諸地域の変動 宋の南遷と金の華北支配 西遼 金の成立と西遼 モンゴル・南宋戦争 大理国 高麗 靖康の変 南宋 12世紀のアジア地図 金(王朝)
12世紀のアジア地図
宋の南遷と金の華北支配

北宋は、燕雲十六州の奪回をはかり、新興の金朝と同盟を結んで遼朝を挟撃し、1125年、これを滅ぼした。しかし、戦費の支払いなどをめぐって北宋は背信行為を重ね、これに怒った金朝は大軍を南下させて北宋の都開封を攻囲した。

1114年、阿骨打あぐだ寧江州の戦いねいこうしゅうのたたかいで遼軍を敗北させた。

太祖完顔阿骨打わんやんあぐだは、遼朝の二重統治体制を採用し、女真族固有の部族制(軍事組織)である猛安もうあん謀克ぼうこく(ミンガン・ムケ)を再編して、軍事・行政制度とし、これをもって女真人をおさめ、また漢人には中国式の州県制を用いてこれを統治した。

猛安・謀克

猛安もうあんは女真語で千を意味するミンガン、謀克ぼうこく邑長ゆうちょうを意味するムケの音訳であるといわれている。謀克は300戸からなり、その長も同じく謀克と称した。また10謀克をもって1猛安を組織し、その長も猛安とした。この組織は軍事的機能をもち、戦時には1謀克から100名の兵士をだして1謀克軍を編成し、10謀克で1猛安を編成した。

参考

詳説世界史研究

系図

金(王朝)
金系図
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