奴隷王朝 マムルーク朝 ナスル朝 1バグダードからカイロへ 3世紀末のイスラーム世界地図
13世紀末のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

奴隷王朝


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奴隷王朝 または マムルーク・スルターン朝 A.D.1206〜A.D.1290
1206年に、奴隷出身の部将クトゥブッディーン・アイバクが、君主であるゴール朝シハーブッディーン・ムハンマドの暗殺事件に乗じて同王朝のインド領を奪い、デリー都とするインド最初のイスラーム王朝を創始した。後継者にも奴隷出身者が多かったため、この王朝は奴隷王朝と呼ばれる。

奴隷王朝

イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム帝国の成立

イスラーム帝国の分裂
マルムーク

マルムークとは「奴隷」を意味するアラビア語である。しかしイスラーム史の中では、はじめ奴隷として購入され、コーランやイスラーム法を学び、軍事訓練をうけたのちに、奴隷身分から解放されて高官にのぼったエリート軍人を指す。
これらのマムルークには、トルコ人をはじめとして、スラヴ人、クルド人、モンゴル人、チェルケス(サーカシア)人、グルジア人、アルメニア人、ギリシア人などが含まれる。

イスラーム帝国の分裂 – 世界の歴史まっぷ

インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化

デリーのムスリム政権

1206年に、奴隷出身の部将クトゥブッディーン・アイバクが、君主であるゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドの暗殺事件に乗じて同王朝のインド領を奪い、デリーを都とするインド最初のイスラーム王朝を創始した。後継者にも奴隷出身者が多かったため、この王朝は奴隷王朝と呼ばれる。
その後の320年間に、デリーにはハルジー朝トゥグルク朝サイイド朝ロディー朝と、ムスリム王朝が交替した。奴隷王朝の時代にアッバース朝のカリフからスルタンの称号をえたため、これら5王朝はデリー・スルターン朝と総称される。
ロディー朝がアフガン系であるほかは、いずれもトルコ系の王朝である。

デリーのスルタンたちによる征服事業は着実に進められた。そして14世紀前半、ハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーからトゥグルク朝のムハンマドに至る時代に、南インドの殆どを支配下におさめた。しかし14世紀頃からデリーの政権は弱体化し、インド各地でヒンドゥー教あるいはイスラーム教を奉ずる地方政権が独立した。
1398年のティムールによる北インド侵寇とその後の混乱でトゥグルク朝が倒れると、サイイド朝・ロディー朝がそのあとを継いだが、いずれも短命で、デリーの政権はかつての隆盛を取り戻すことはできなかった。
ハルジー朝 13世紀後半のインド地図 デリーのムスリム政権
13世紀後半のインド地図 ©世界の歴史まっぷ

デリーのムスリム政権 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

歴代君主

  1. クトゥブッディーン・アイバク(在位:1206年 – 1210年)
  2. アーラーム・シャー (在位:1210年 – 1211年) – アイバクの子
  3. シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ(在位:1211年 – 1236年) – アイバクの娘婿
  4. ルクヌッディーン・フィールーズ・シャー(在位:1236年) – イルトゥトゥミシュの子
  5. ラズィーヤ(在位:1236年 – 1240年) – イルトゥトゥミシュの子
  6. ムイズッディーン・バフラーム・シャー(在位:1240年 – 1242年) – イルトゥトゥミシュの子
  7. アラー・ウッディーン・マスウード・シャー(在位:1242年 – 1246年) – フィーローズ・シャーの子
  8. ナーシルッディーン・マフムード・シャー(奴隷王朝)(在位:1246年 – 1266年) – イルトゥトゥミシュの子
  9. ギヤースッディーン・バルバン(在位:1266年 – 1287年)
  10. ムイズッディーン・カイクバード(在位:1287年 – 1290年) – バルバンの孫
  11. シャムスッディーン・カユーマルス(在位:1290年) – カイクバードの子
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