天橋立図
天橋立図(雪舟画/京都国立博物館蔵)国宝 ©Public Domain

天橋立図


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天橋立図

国宝データ

雪舟等楊せっしゅうとうよう
1幅
紙本墨画淡彩
縦89.4cm 横168.5cm
室町時代・16世紀
京都国立博物館
A甲228

画面に作者を明示するような落款・印章の類はないものの、全体の筆法や構図、図中に書き込まれた地名の文字の書体などから、雪舟(1420~1506頃)筆とみなされている作品である。
図にはほぼ中央に天橋立の白砂青松と智恩寺が表され、その上方に阿蘇海をはさんで寺社の林立する府中の町並み、さらにその背後には巨大な山塊と成相寺の伽 藍が配されている。一方、橋立の下方には宮津湾がひろがり、またそれを囲むように栗田くんだ半島の山並みがその下端になだらかに横たわっている。広大 な空間を感じさせる、開放感たっぷりの構成である。
 この図が実際の景観に基づいて描かれているのは確かだが、実景そのままを絵画化したというものではなく、成相寺の建つ山を極端に屹立きつりつさせてみたり、府中の町並みを横に引き伸ばすなどの変更が見て取れる。またかなり高い位置から橋立と その周辺を捉えているが、このように見える場所も実際は存在しない。近年の指摘によれば、こうした実景との違いは、雪舟が中国画の学習で培った山水画の画 面構成法をもとにして実景部分を再構成したためであるという。とくにこの図の俯瞰ふかん的な構成法は、おそらく中国の景勝地を描いた西湖図などのそれ を強く意識した結果なのであろう。
 筆遣いはいたって荒々しく、まさに一気呵成に仕上げた感があるが、かえってそれが図に独特の躍動感、力強さをもたらしている。寸法の違う21枚もの小紙を不規則に貼り合わせた紙に描かれていることや、描き直しの跡が認められることなどからみて、本来は完成画(本絵)ではなく、下絵であった可能性が高い。もしかすると、すでにみた荒々しい筆さばきもそのあたりに原因があるのかもしれない。

参考 e国宝

鳥瞰絵画の元祖は、室町時代唯一の実景描写

雪舟 国宝 15〜16世紀・室町時代 紙本墨画淡彩 一幅 90.2×169.5cm 京都国立博物館

雪舟は文明15年(1483)に丹後国を訪れた。その際、現地で写生して本図を描いたとされる。天橋立あまのはしだての先端から見て左側には智恩寺ちおんじがあり、境内に文亀元年(1501)建立の多宝塔が見えることから、それ以後の制作とも考えられる。

参考 週刊ニッポンの国宝100 10 中尊寺金色堂/慧可断臂図(チユウソンジコンジキドウ エカダンピズ)[分冊百科] (2017年11/28号)

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