南北朝時代(中国) 北周
北周・北斉・陳・後梁 @ Wikipedia

北周


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北周 (556年〜581年)
中国の南北朝時代に鮮卑系の宇文氏によって建てられた国。国号は単に周であるが、紀元前11世紀から紀元前3世紀まで続いた周を始めとする同名の王朝と区別するために北周と呼ぶ。
君主の称号としては当初、秦以来の中国の歴代王朝が称していた「皇帝」号をやめ、「天王」を採用している。

北周

北周
東アジア世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東アジア世界の形成と発展

北方民族の活動と中国の分裂

北朝
北魏

北魏は、北方の遊牧民の柔然じゅうぜんを攻撃してこの勢力を弱めたので、西域の諸国や東北の高句麗朝貢した。南朝の宋に対しては、軍事的にはおおむね優勢を保ち、淮河わいがもしくは長江を境界とした。

五胡十六国と南北朝 南北朝時代(中国) 東アジア諸国との交渉 北魏 南北朝時代(中国)地図
南北朝時代(中国)地図 ©世界の歴史まっぷ
・西魏

孝文帝の死後、漢化政策に反対する軍人の反乱をきっかけにして内紛がおこり、国力は急速に衰え、やがて東魏とうぎ西魏せいぎに分裂した。

西魏は長安に都をおき、府兵制をはじめたが、宇文氏うぶんしに国を奪われ、北周となった。

南北朝時代(中国)
東魏・西魏と梁 Source: Wikipedia
府兵制:兵農一致にもとづく兵制で、西魏の丞相じょうしょう宇文泰うぶんたいによって創始され、北周にうけつがれ、均田制とともに隋をへて唐で整備された。
北周

北周は、東魏にとってかわった高氏の北斉ほくせいを併合して華北を再び統一し、581年に楊堅ようけん(隋の文帝)によって国を奪われるまで続いた。

この北魏による華北の統一から隋(王朝)成立にいたるまでを北朝という。

南北朝時代(中国)
北周・北斉・陳・後梁 Source: Wikipedia

五胡十六国と南北朝 – 世界の歴史まっぷ

東アジア文化圏の形成

隋の統一

6世紀末(南北朝時代)に北周では外戚の楊堅ようけんが実権を握り、581年に北周を倒して帝位(文帝)につき、国号を隋(王朝)とした。
隋の統一 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

歴代天王

  1. 孝閔帝(宇文覚、在位556年 – 557年) – 宇文泰の三男
  2. 世宗明帝(宇文毓、在位557年 – 560年) – 先帝の兄
  3. 高祖武帝(宇文邕、在位560年 – 578年) – 先帝の弟
  4. 宣帝(宇文贇、在位578年 – 579年) – 先帝の子。静帝に譲位後は「天元皇帝」と称した。
  5. 静帝(宇文闡、在位579年 – 581年) – 先帝の子

Wikipediaより

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