ヴァルナ制 ヴァルナ(種姓制度)図 バラモン教とヴァルナ制度
ヴァルナ(種姓制度)図 ©世界の歴史まっぷ

ヴァルナ制


ヴァルナ制

後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃〜紀元前600年頃)、鉄器の使用が始まり森林地帯の開拓が進むと、農耕生活が安定し、余剰生産の増大とともに、生産に直接従事しない司祭者や王侯武士階級の人口も増え、ここにバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする奴隷階級)からなる4ヴァルナ制度(種姓制度)が成立した。

ヴァルナ制

アジア・アメリカの古代文明

インドの古代文明

紀元前800年ころ鉄器の使用が始まると、ガンジス川中流域の森林地帯の開拓が進んだ。またアーリヤ系民族はこの地で先住民から稲の栽培の技術を学び、農耕生活は一層安定した。
余剰生産の増大とともに、生産に直接従事しない司祭者や王侯武士階級の人口も増え、ここにバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする奴隷階級)からなる4ヴァルナ制度(種姓制度)が成立した。これはカースト制度の初期の形態と言えるものである。この時代にはまた王権がしだいに強化され、小さな王国が各地に誕生した。

ヴァルナとカースト

ヴァルナとは「色」を意味する語。アーリヤ人がインドに入ったころ、肌の色の違いが身分の違いを意味していたところから、この語は「身分」「階級」の意味でも使われるようになり、混血が進み肌の色と身分の対応関係がなくなってからも後者の意味で使われ続けた。ヴァルナの内部に多数存在するカースト集団をインドでは「生まれ(を同じくするものの集団)」を意味するジャーティと呼んできた。このジャーティを15世紀末からインドにやってきたポルトガル人が、自国語で「血統」「家柄」を意味するカスタ(語源はラテン語のカストゥス)と呼び、ここからカースト制度という呼称が生まれた。

ヴァルナ制度の形成

すでに前期ヴェーダ時代にアーリヤ人の部族の内部に、政治的な力を持った上層部族民、宗教を担当する司祭者、一般部族民という3階層が存在していた。階層間の壁ははじめ薄いものであったが、後期ヴェーダ時代に入るとしだいに厚くなり排他的階層の形成が進んだ

  • まず司祭者たちが祭式を複雑に発達させてそれを独占し、神に最も近い人間であると主張して第1のヴァルナとなった。バラモン(正しくはブラーフマナ)とは「呪力じゅりょくをもった祭典の言葉を知るもの」という意味である。
  • つづいて上層部族民が一般部族民から自己を切り離し、政治と軍事の担当者となった。クシャトリヤとは「権力をもつもの」という意味である。
  • 一般部族民は上位の2ヴァルナを経済活動によって支える庶民階級となった。ヴァイシャとは部族民を意味するヴァイシャという語から派生した呼称である。
    以上の3ヴァルナに属するものたちは「アーリヤ」とも呼ばれ、バラモンの指導する宗教に参加することができた。
  • 第4のヴァルナは主として先住民からなる隷属階級で、上位3ヴァルナに奉仕することを義務づけられ、社会的・宗教的にさまざまな差別をうけた。シュードラという呼称は、先住民部族の名に起源するらしい。
  • なお、この時代の末期から次の時代の初めごろ、社会の最下層にシュードラからも差別される不可触民階層が形成された。

ここに成立したヴァルナ制度は、アーリヤ人文化の伝播にともなってインド亜大陸の各地に伝えられ根を下ろした。この制度はまた、多数のカーストからなる後世のインド社会の大きな枠組みとして機能している。なお、時代がくだるとともにヴァイシャは商人階級のヴァルナとなり、シュードラは農民をはじめとする生産大衆のヴァルナとなる。それにともないシュードラ差別は弱まるが、その一方で不可触民差別は強くなった。

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諸王国の抗争

カースト社会の形成

インドの伝統的な社会は、カースト間の分業体制を基礎としていた。各カーストは結婚・食事・職業を共通にするものたちからなる排他的集団であり、そうしたカーストをヨコ(分業)とタテ(上下の身分)の関係で有機的に結合したかたちでインド社会は成り立っている。
たとえば村落は農業カーストとそれを取り巻く20〜30のカーストからなり、それぞれのカーストに所属するものがそれぞれ役割(カーストの職業)を果たすことによって毎年の生活活動が維持されているのである。また各カーストは、バラモンを最高位とし不可触民のカーストを最下位とする身分関係で結ばれており、これによって村落社会に秩序が与えられている。

こうしたカースト社会を支えたのは、この世の生まれを前世の行為(業)の結果とみなし、カーストの義務を果たすことによって「よりよい来世」が得られると説くヒンドゥー教の人生観があった。カースト社会は安定したものであり、イスラーム教徒の支配下にあっても存在し続けた。こうしたカースト社会が形成される過程については不明な点が多いが、おそらくグプタ朝以後の数世紀の間に、古代に成立したヴァルナの枠組みの内部に多数のカーストが生み出され、社会における役割を固定させたのであろう。

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