タージ・マハル
タージ・マハル Wikipedia

タージ・マハル


タージ・マハル

1632年から22年の歳月をかけて、アグーラの町に建てられた霊廟。ムガール帝国第5代のシャー・ジャハーンが、亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルのために建立した。中心のドームの高さは58m、周辺に4本のミナレット(尖塔)がそびえている。外観はペルシア風だが、内部はインド的な造りで、世界的にも最も美しいイスラーム建築の傑作といわれている。

タージ・マハル

愛妃の霊廟

インド北部アーグラにあるタージ・マハルは、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルの霊廟れいびょうである。皇帝の遠征に同行していたムムターズ・マハルは、14人目の子供を出産した後に亡くなった。皇帝は国民に2年間喪に服することを命じた後、約20年かけて妃の霊廟を建設した。

1648年に完成した霊廟は、総面積17万㎡の広大な敷地に白大理石でたてられている。世界各地から集められた職人が建設にかかわり、フランスの金細工師やイタリアの宝石工もいた。霊廟の西側に赤砂岩せきさがんで作られたモスク、その反対側に迎賓館がある。水路などで全体が4分割されたペルシア式の幾何学庭園(チャハル・バーグ)は、『コーラン』の「天上の楽園』を再現したものである。

シャー・ジャハーンは、黒大理石で自分の廟をタージ・マハルのそばに建てる計画を立てていたがかなわず、3番目の息子で6代皇帝のアウラングゼーブによって、死ぬまでアーグラ城に幽閉された。彼の棺は、タージ・マハルの地下にある愛妃の棺の横に安置された。

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ムガル時代の社会と文化
タージ・マハル廟

タージ・マハル廟 は、ムガル帝国第5代シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死をいたみ、アグラ市郊外のジャムナー河畔にたてた墓廟である。20年余の歳月をかけて完成した白大理石の建造物は、56m四方の基壇の上にきずかれ、中央のドームの高さは58mに達する。治世の末年に息子のアウラングゼーブに帝位を追われ、アグラ城に幽閉されたシャー・ジャハーンは、城内の一室から遠望されるこの廟を日々眺めて過ごしたという。シャー・ジャハーンは、はじめジャムナー川の対岸に自分のための同規模の墓廟をたてるつもりであったが、その夢はかなわず、帝の遺体は愛妃の遺体とならんで、この廟の地下に眠っている。

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ギャラリー

タージ・マハル
タージ・マハル 大楼門 ©Public Domain

大楼門は赤砂岩づくりで高さ約30m。イスラーム建築で多用される大きなアーチを持つイーワーンであり、両側には八角形の太い塔がある。イーワーンの上には、ファテープル・シークリーの寺院にも見られる白い鍾乳石の型体をした11個の丸屋根がある。

タージ・マハル 集会所
タージ・マハル 集会所 Wikipedia

墓廟を挟むモスクと集会場は、対称な形で向かい合い、いずれも赤砂岩づくりの外観である。しかし、内部は大きく異なる。モスクには礼拝のために聖地メッカの方向を示すアーチ形のミソラーブがあるのに対し、集会場の内部には迎賓などのための広い空間だけがある。このようなモスクや集会場がある霊廟は、他のムガル帝国廟にはない。

タージ・マハル 霊廟
タージ・マハル 霊廟 Wikipedia

最上部にムガル建築の様式である三日月と水差しを重ねてあしらった頂華を備え、繋ぐ部分には蓮の花弁を象った飾りパドマコサを持つ丸屋根は、建物本来の高さ約23mから持ち上げるため下に長い円筒が置かれ、その総重量は12,000トンにもなる。この重さは内部にある八角形の石積みの柱が支え、ずれや傾きを防ぐために工夫された楔で固定されている。
建物の屋上には丸屋根を囲む四隅に小さな丸屋根を持つ小楼(チャハトリ)が配される。建物の正面を含む4つの面には大きなアーチ型飾り門があり、その両隣と切られた四隅にはそれぞれ上下2段の小さなアーチ飾り窓がある。さらに八角形の建物のそれぞれの角と飾り門の両端には飾り柱があり、先端は建物の上に伸びている。飾り門や窓は意図的に深い奥行きを持たせており、太陽や月の光がつくる濃い影を作らせ、建物の微妙な表情を演出させる。

タージマハル
タージマハル 尖塔 ©Public Domain
タージ・マハル
タージ・マハル シャー・ジャハーン(左)とムムターズ・マハル(右)の墓石 Wikipedia
タージ・マハル
北側のヤムナー川から見たタージ・マハル ©Public Domain

タージ・マハルの建設地には、アーグラ城塞からヤムナー川を東へ約1kmほど下流の河川が湾曲する外側に当たる場所が選ばれた。

参考 Wikipedia

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