カルマル同盟
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カルマル同盟


カルマル同盟 A.D.1397〜A.D.1523
デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの北欧3国がスウェーデンのカルマルで締結した同盟(物的同君連合)。デンマークの主導する連合王国。首都: コペンハーゲン。

  • 1397年6月17日 カルマル同盟成立。盟主:デンマーク。
  • 1520年 スウェーデンの独立派を粛清した「ストックホルムの血浴」により同盟関係は決裂
  • 1523年 スウェーデン独立、デンマーク・ノルウェー連合王国へ

カルマル同盟

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14世紀半ば、デンマークはファルデマール4世(デンマーク王)(位1340〜1375)の時代に国内の混乱を平定し、政情は安定した。ノルウェー王に嫁した王女マルグレーテ1世(1353〜1412)は、父王と夫王がなくなるとデンマーク・ノルウェー両国の実権を掌握(1380)、さらにスウェーデン貴族の要請でスウェーデン王を追放し、3国を連合した。そして1397年デンマーク国境に近いスウェーデンの町カルマルに3国の貴族らを集め、みずからの血を引くポンメルンのエリク7世(デンマーク王)を共同の国王に推戴することを承認させた。この連合はカルマル同盟と呼ばれ、デンマークの主導する連合王国の成立を意味した。
15世紀以降スウェーデンの独立気運が強まり、1523年グスタフ1世(スウェーデン王)によるスウェーデンの独立で連合は解消されたが、デンマーク・ノルウェーの同君連合は1814年まで続いた。
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物的同君連合とは

物的同君連合では、各構成国をまとめる中央政府が設立される。この中央政府の権限は事例によりまちまちであるが、外交、軍事及び財政の権限が付与される場合が多い。このように外交の権限が中央政府に与えられた場合、この同君連合は国際法上の主体となり、条約などを締結できるようになる。逆に言えば、このような場合においては、同君連合の各構成国は国際法上の主体性が著しく制限される。また、内政分野においても各構成国の権力行使が制限され、中央政府に委ねられることが多い。

具体的には、1867年から1918年にかけて、オーストリア帝国とハンガリー王国が同君連合になっていた例(オーストリア=ハンガリー二重帝国)が挙げられる。オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねていたのであるが、オーストリア政府とハンガリー政府の上に共通政府が置かれて、同君連合全体の外交・軍事・財政などを管轄した。

参考 Wikipedia

歴史

  • 1397年 デンマーク王母マルグレーテ1世によって、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3ヶ国による、デンマークを盟主にした王国同盟成立。
  • 初代君主エリク7世(デンマーク王)はホルステン(ホルシュタイン)などへの出兵と失敗を繰り返し、そのツケをスウェーデンやノルウェーへの増税で賄うなど、内外に不安定性を常に抱え込む状態が続いた。またエーレスンド海峡を通過する船に海峡税も課し、これがデンマークの莫大な財政収入を生んだ。デンマークは大国化したとは言え、内政では国王の絶対主義化はうまく行かず、常に貴族の介入を許した。貴族の勢力は強大で、1448年にようやく、オルデンブルク家が世襲王家として認められた(オルデンブルク朝)。
  • オルデンブルク朝の下でデンマークは北欧の強国として成長し、1460年には懸案だったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の領有化に成功する(神聖ローマ帝国領のまま、一種の同君連合)。また海軍も強化し、宿敵であったハンザ同盟を破って、バルト海の盟主にもなった。この時代、デンマークは、北海からバルト海をまたぐ超大国であったと言える。しかし、スウェーデンでは早くも独立へ向けた反乱が始まっていた。
  • 2代君主クリストファ3世(デンマーク王)の宰相カール8世(スウェーデン王)がスウェーデンで勢力を伸ばし、スウェーデンとノルウェーの王に即位した。
  • 3代君主クリスチャン1世(デンマーク王)はカール8世(スウェーデン王)を撃破、ノルウェー王に即位したが、スウェーデンの支配は不安定で、クリスチャン1世とカールの即位と追放が繰り返された。
  • 4代君主ハンス(デンマーク王)がスウェーデン王に即位するのは1497年だが、その後も反乱は続いた。またフィンランドなど北東の支配力は弱体で、1509年には、フィンランドのトゥルクに侵攻し壊滅的なダメージを与えたが、結局撃退されてしまった。
  • 1497年に北欧王国同盟が結ばれ、カルマル同盟は強化されたが、次第にスウェーデンの分離は明らかな事態となっていった。

デンマーク=ノルウェー二重王国

  • 1520年、クリスチャン2世(デンマーク王)によるスウェーデンの独立派を粛清した「ストックホルムの血浴」により、同盟関係は決裂。スウェーデン貴族ヴァーサ家の蜂起により独立戦争が勃発した。
  • 1523年にスウェーデンはカルマル同盟から離脱し、「スウェーデン王国」が成立した。一方、スウェーデンを失ったデンマークはノルウェーの支配を強化し、「デンマーク=ノルウェー二重王国」として再出発する事となった。
  • デンマークはノルウェーとの同盟を、1814年にスウェーデンに割譲するまで417年間維持させた。対するノルウェーは、1537年にカトリック派が追放され、プロテスタント化し、デンマークの従属国とされた。この時ノルウェーのカトリック大司教による改宗への抵抗があった。一部ではノルウェー人によるナショナリズムの昂揚もあったが、勢力は微弱で軍事力も無く、うやむやのうちに飲み込まれていった。
  • カルマル同盟はスウェーデンの独立後、二重王国として存続したが、ノルウェーは事実上デンマークの従属国であった。また同盟関係は、北方戦争や大北方戦争などのあおりを受けて崩壊の危機に立たされるなど、近世を通じて弱体化している。ノルウェーは経済的にデンマークの従属国であり、経済的な自立も叶わぬままデンマークの庇護を受けるという状態であった。この経済的な従属関係は、ノルウェーがスウェーデンに引き渡された19世紀まで至り、19世紀後半にヨーロッパ第三位の海運国に登り詰める事によって、ようやく自立するのである。

デンマーク=ノルウェー二重王国の崩壊

デンマーク=ノルウェー二重王国は、ナポレオン戦争に巻き込まれ、イギリス・スウェーデンの対仏大同盟国の攻撃のもとに屈した。デンマークはノルウェーを1814年のキール条約によって失い、ここにカルマル同盟は完全に消滅した。

歴代君主

カルマル同盟歴代君主

君主デンマークノルウェースウェーデン
マルグレーテ1世1387年-1412年1388年-1389年1389年-1412年
エリク7世(デンマーク王)1396年-1439年1389年-1442年1396年-1439年
ハンス(デンマーク王)1481年-1513年1483年-1513年1497年-1501年
クリスチャン2世(デンマーク王)1513年-1523年1520年-1521年

参考 Wikipedia

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