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龍山文化 (竜山文化 ロンシャン文化 黒陶文化) (紀元前2000年頃〜紀元前1500年頃) 薄手の黒陶を特色とする、中国の新石器時代にあたる黄河文明後期を黒陶文化とよび、その遺跡が山東省歴城県の竜山鎮で最初に発見されたので、竜山文化ともよぶ。 河南・山東省など黄河下流域を中心に、遼東半島から 長江流域まで、かなり広い範囲で遺跡が分布し、独特の三本足の形状をもつ三足土器も多く見られる。

龍山文化

世界史対照略年表(前3000〜前200)
世界史対照略年表(前3000〜前200)©世界の歴史まっぷ

アジア・アメリカの古代文明

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

中国の古代文明

中国文明の誕生
黄河文明
黒陶文化は、その遺跡が1930年に山東省歴城県の竜山鎮で最初に発見されたので、龍山文化とも言い、河南・山東省など黄河下流域を中心に、遼東半島から 長江流域まで、かなり広い範囲で遺跡が分布している。 黒陶は卵の殻のような薄手の、黒色無地の光沢のある土器で、焼成温度が高いこと(1000℃以上)や轆轤ろくろが用いられていることから、彩陶よりも一段進んだ段階の土器であり、殷・周代の青銅器の原型になったものとも考えられている。 また、黒陶とならんで、厚手で粗製の灰陶かいとうも多く出土しており、これらの黒陶や灰陶には、独特の三本足の形状をもつ三足土器も多く見られる。三足土器には、形状や用途によってていれきなどの種類がある。 黒陶文化の段階になると、集落の規模も彩陶文化に比べて大きくなり、牛・馬などの大型家畜も飼育されたほか、占卜せんぼくに使用されたとみられる獣骨が出土していることは、殷代との関連の上で注目される。
殷の成立
黒陶文化の後期になると、黄河の中・下流域に、ゆうと呼ばれる集落が広く形成されるようになった。邑は、当初は土塁などをめぐらした小規模な集落で、その内部は、血縁関係によって結ばれた氏族共同体的な性格が強かったが、のちには、城壁で囲まれた 城郭都市的な形態のものへと発展していったと考えられる。このように邑が発展すると、やがて強力な邑と弱小な邑の間に支配・服属の関係が生まれ、強力な邑の首長は、服属した多数の邑を支配する王となる。こうして、特定の王家が諸邑の上に君臨する王朝が成立したと考えられる。

参考

龍山文化の代表的な遺跡

城子崖遺跡

中国の新石器時代の龍山文化の代表的な遺跡。山東省済南市に属する章丘市龍山街道の武原河畔の「城子崖」と呼ばれる長方形の高地上に位置する。 1928年、考古学者の呉金鼎が城子崖で新石器時代後期の遺跡を発見した。1930年から1931年にかけて1度目の発掘をおこない、その地の名称から龍山文化と命名された。1961年、遺跡は中国国務院により第1回全国重点文物保護単位に指定された。1990年、山東省文物考古研究所が2度目の発掘をおこない、遺跡に3期に分けられる文化層のあることが発見された。

長江文明・黄河文明の遺跡一覧

年表

長江文明と黄河文明のおおよその年表 数字はすべて紀元前

黄河流域 長江上流域 長江中流域 長江下流域
紀元前8000年以前 玉蟾岩遺跡 仙人洞・呂桶環遺跡
7000 | 6000 彭頭山文化
6000 | 5000 湯家崗文化 城背渓文化
5000 | 4000 仰韶文化 馬家浜文化 河姆渡文化
4000 | 3000 大渓文化 崧沢文化
良渚文化
3000 | 2000 竜山文化 宝墩遺跡(龍馬古城) 屈家嶺文化
三星堆遺跡 石家河文化
2000 | 1000 二里頭文化(夏?) 馬橋文化
二里頭文化
二里岡文化(殷遷都前) 二里岡文化
殷遷都後 呉城文化 湖熟文化
1000以降 巴蜀
呉越

参考

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