MENUMENU
弥生時代 (紀元前3〜4世紀〜3世紀中ごろ) 日本において縄文時代に続く時代で,弥生土器が使用された時代。鉄器や青銅器などの金属器,石包丁などの大陸系磨製石器,水稲耕作などによって特徴づけられている。その開始は前3~2世紀頃といわれ,終わりは3世紀。『漢書』や『魏志』(魏志倭人伝)によれば,弥生時代の後半には数十の国に分かれ,国王がおり,互いに争って統一国家への胎動を続けた時代でもあった(邪馬台国)。弥生遺跡は北海道を除く各地に分布し,なかでも佐賀県の吉野ヶ里遺跡は著名。ほかにも原の辻遺跡,土井ヶ浜遺跡,唐古遺跡,登呂遺跡,垂柳遺跡など数多く発掘されている。[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2016] ※弥生時代の開始時期は諸説あり

弥生時代

日本文化のあけぼの

農耕社会の成立

弥生文化の成立
日本列島で1万年近く続いた縄文時代が終わりに近づいた紀元前5世紀初めころ、土地を耕して水をはり、米を作る水田稲作農耕が始まった。 最初にそれが行われたのは、朝鮮半島に最も近い北部九州であった。水田稲作はすぐに定着し、西日本では紀元前5世紀頃に、水稲耕作を基礎とする農耕文化が成立した。これを弥生文化と呼んでいる。 この紀元前5世紀頃から紀元前3世紀の時期を弥生時代と呼ぶが、弥生時代は土器の変遷や大陸よりもたらされた青銅器の年代などから、前期(紀元前5〜紀元前2世紀)、中期(紀元前2世紀〜紀元1世紀)、後期(1〜3世紀)の3期に区分される。水田稲作が始まった縄文時代晩期の紀元前5世紀を弥生時代早期とする意見もある。

弥生時代の3期区分

紀元前5世紀弥生前期北部九州で紀元前700年ころ始まった水稲耕作が西日本に伝わり、やがて東北地方の一部まで伝わる(砂沢遺跡)。湿地が中心。木の鍬・鋤を使用。
環濠集落出現(前期〜後期)
紀元前2世紀弥生中期高地性集落出現(中期〜後期)
小国の分立(『漢書』地理志, 『後漢書』東夷伝)
墳丘墓出現(吉野ヶ里遺跡)
紀元前1世紀弥生後期石器は減少し、鉄製工具普及。
鉄製の刃の鍬・鋤を使用
乾田の開発
邪馬台国連合の形成(『魏志』倭人伝)
大型の墳丘墓出現
3世紀
弥生時代の始まりの年代
北部九州で水田稲作が始まった頃の土器に付着した炭化物を測定し炭素14年代を補正して実年代を割り出したところ、紀元前900年頃という結果が出た。 弥生時代前期初めの年代はおよそ紀元前800年であり、それらが正しいとすれば、弥生時代の始まりはこれまでの推定よりも500年ほどさかのぼることになる。しかし、この新説には賛否両論がある。
続縄文文化
弥生時代になっても北海道には稲作は伝わらず、採取・狩猟・漁労を基礎とする縄文時代以来の文化が継続し、縄文土器の伝統を強く引いいた土器が用いられた。 約2300年前から約1400年前まで、北海道で続いたこの文化を続縄文文化と呼んでいる。 有珠モシリ遺跡 - 世界の歴史まっぷ
貝塚文化
奄美・沖縄などの南西諸島もやはり稲作文化を受け入れず、採取・漁労文化が日本の平安時代に平行するグスク時代まで続いた。これを貝塚文化と呼んでいる。
遠賀川文化
弥生時代前期の西日本の文化を、遠賀川文化おんががわぶんかと呼んでいる。遠賀川文化は、福岡県建屋式遺跡の遠賀川の川底から見つかった遺物に基づいて名付けられた。遠賀川文化の指標は遠賀川式土器であり、ヘラ先でつけた簡素な文様を特徴とする。 遠賀川式土器は、壺・かめ・鉢・高坏たかつきからなり、このセットは福岡県から愛知県にまで及んでいる。 西志賀貝塚 - 世界の歴史まっぷ

参考

詳説日本史研究

中国との交渉年表

弥生・古墳時代 中国との交渉

中国日本  
西周前1046前11世紀〜水稲耕作・大陸系石器・支石墓の伝来
板付遺跡(福岡県)
早期
春秋時代前770前8世紀〜北九州で支石墓・甕棺墓が現れる弥生前期
吉野ヶ里遺跡のはじまり
戦国時代前403前4世紀〜縄文式土器の影響を受けた弥生式土器が現れる
秦朝前221■環濠集落の出現











前206
前漢前202
■丘陵の周囲に大きな環濠や墳丘墓を造成弥生中期
百余国に分立・漢に献見す(『漢書』地理志)
8
新朝23
後漢25
57倭の奴国の王・後漢に遣使。光武帝より「漢委奴国王」の印綬を賜る(『後漢書』東夷伝)弥生後期
107倭国王帥升等、生口160人を安帝に献上(『後漢書』東夷伝)
147倭国大乱(『後漢書』東夷伝)
189
曹魏220■高床倉庫・物見やぐらなどの建設
孫呉221
蜀漢222
239邪馬台国女王卑弥呼,魏に遣使。「親魏倭王」の称号と金印紫綬と銅鏡百枚などを賜る。
(『魏志』倭人伝)
247卑弥呼死す
263
265

(西晋)
266倭の女王壱与,晋に遣使
280□前方後円墳の出現前期古墳時代
316
五胡十六国東晋317
372百済王, 七支刀を倭王に贈る
北魏386
391倭,百済・新羅を破る(高句麗 好太王碑の碑文)中期
413倭国,東晋に方物を献上(『晋書』)
420
宋(南朝)421讃,宋に遣使(421〜478『宋書』倭国伝)
438珍,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる
439
443済,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる
451済,「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東将軍 倭国王」となる
462興,「安東将軍 倭国王」となる
478武, 宋に遣使。「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」となる
479479武,「鎮東大将軍」となる(『南斉書』倭国伝)後期
斉(南朝)502502武,「征夷大将軍」となる(『梁書』)
梁(南朝)512百済に伽椰西部の支配を認める
東魏534
西魏535
538百済聖王,欽明天皇に仏像と経典を献上(『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』『日本書紀』)
北斉550
北周556
陳(南朝)557
参考:新詳日本史―地図資料年表

弥生時代の遺跡一覧

弥生時代遺跡一覧(Google Map) - 世界の歴史まっぷ

弥生時代の墳墓と埋葬一覧

弥生時代 墳墓と埋葬

墓名写真説明縄文時代弥生時代古墳時代
土壙墓土壙墓土を掘って棺を使用せずに遺体を埋める墓のことで、古今を通じて普遍的な埋葬方法。
弥生時代にも全期をとおして日本中に見られた。
弥生時代には手足を伸ばして葬る伸展葬が主流で、集落近くの共同墓地に埋葬された。
甕棺墓甕棺墓北部九州では成人に特製の大型甕棺を使用。
盛り土はほとんどなく、甕棺は斜めに置かれ、屈葬が多い。
副葬も見られる。楽浪郡に使者を送った王の墓とみられる甕棺には
青銅鏡・ガラス・璧など漢からの贈り物が副葬されている。
支石墓支石墓大型の平たい石を数個の支石で支え、その下に土壙墓(墓穴)や
箱式石棺墓、甕棺墓などの埋葬施設がある。
支石墓は朝鮮半島に広く分布し、日本では弥生前期・中期の北部九州に多い。
箱式石棺墓箱式石棺墓板状または塊状の石で四方を囲み、遺体を入れる大きな箱形の空間を作り、
上を同様の石で覆ったもので、西日本に多い。
方形周溝墓方形周溝墓弥生時代前期から古墳時代まで続く墳丘墓。
約10m四方で、周囲を1〜2mの溝で囲む。盛り土された中央部に土壙(墓穴)を掘って埋葬した。
墳丘墓墳丘墓弥生時代の墳丘をもつ墓を、古墳と区別して墳丘墓と呼ぶ。
弥生時代中期後葉から後期前半: 墳丘規模に格差が広がり、墳長20メートル以上の大型墓が出現する。
四隅突出型墳丘墓四隅突出型墳丘墓斜面や裾の部分に石を並べ、四隅が突出した形の墳丘墓。
島根・鳥取・広島などを中心に分布。墳丘斜面に貼石がある。

参考

created by Rinker
¥8,620 (2019/04/18 14:27:14時点 Amazon調べ-詳細)

旧石器・縄文・弥生文化の特色比較表

旧石器・縄文・弥生文化の特色

旧石器文化縄文文化弥生文化
自然
環境
乾燥・寒冷=針葉樹林
湿潤・温暖=東日本は落葉広葉樹林、西日本は照葉樹林
海面上昇(縄文海進)で入江が多くなる
大型動物=ナウマンゾウ・オオツノジカ・マンモス・ヘラジカ中・小型動物=ニホンシカ・イノシシ・鳥類
経済

社会
狩猟・採取採取・狩猟・漁労
貧富・身分の差はまだない
水稲耕作・採取・狩猟・漁労=豚の飼育なども貧富・身分の差が発生=各地に小国の分立
道具石器時代=打製石器
打製石斧・ナイフ形石器・尖頭器・末期に細石器など
石器時代=打製石器と磨製石器
石鏃・石匙・石皿・磨製石斧
石槍・弓矢=中・小型動物を捕らえる
骨角器=釣針・銛・やす・土錘・石錘, 丸木舟
貯蔵穴=採取した木の実などの保存
鉄器時代=鉄器
武器・実用の工具。のちに鉄鎌・鉄斧
青銅器=祭器・宝器・装身具など
磨製石器=磨製片刃石斧・石包丁・紡錘車
木製の鍬・鋤・田下駄、木臼・竪杵
縄文土器=低温で焼かれ、厚手・黒褐色・縄目の文様弥生土器=薄手・赤褐色
住居

衣服
移動=一定の範囲内を移動
簡単なテント式の住居。洞穴・岩陰を一時的に住居として利用
定住=竪穴住居(中央に炉を設置。1戸に数人から10人程度)
湧き水の得られる台地上に集落を形成(環状集落が主)
海岸近くの集落には貝塚が見られる
定住=竪穴住居に住み、掘立柱の高床倉庫を利用(穀物保管)
環濠集落と高地性集落
男は袈裟衣、女は貫頭衣を着用
墓制

宗教
未解明屈葬=手足の関節を折り曲げて埋葬
共同墓地(貝塚はゴミ捨て場兼埋葬場)
アニミズム(精霊崇拝)
土偶・土版・石棒など呪術的遺物
抜歯や叉状研歯の風習
伸展葬=手足を伸ばして埋葬
九州北部に甕棺墓・箱式石棺墓・支石墓。東日本に再葬墓各地に土壙墓・木棺墓・壺棺墓・方形周溝墓
弥生後期に西日本で大きな墳丘墓
農耕儀礼が発達
参考:新詳日本史―地図資料年表
Previous Post

コメントを残す

MENUMENU