三国時代(朝鮮半島)
5世紀末三国時代(朝鮮半島)地図 ©世界の歴史まっぷ
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三国時代(朝鮮半島)
4世紀から7世紀にわたり、高句麗、新羅、百済の三国が鼎立ていりつ・抗争した時代。百済と高句麗は唐に滅ぼされ、676年、新羅は朝鮮半島を統一した。(韓国では紀元前1世紀から紀元後7世紀をいう。)

三国時代(朝鮮半島)

三国時代(朝鮮半島)
東アジア世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東アジア世界の形成と発展

北方民族の活動と中国の分裂

周辺国家の形成

五胡の諸民族による国家形成にともない中国が分裂状態になったころ、周辺の諸地域でも国家形成が進んだ。分裂時代の中国の諸王朝は、みずから権威を高めるために周辺の新興国家とのつながりを強化しようとはかり、朝貢関係を積極的に結ぼうとした。

朝貢とは、周辺諸国(夷狄いてきの君主)が貢物をもたせた使節を中華(皇帝)に送り、皇帝が使節を接見して「回賜かいし」という返礼品を与える制度をいう。これは支配・従属の関係を理念的に表現した政治的行為、すなわち外交儀礼であると同時に物資の交換という側面をもっていた。これによって皇帝は自らの権威を高めるとともに、周辺諸国の君主はその支配の正当性を保証されることになった。

高句麗

紀元前1世紀ころ中国東北地方の南部におこったツングース系の高句麗こうくりは、3世紀半ばに魏によって遼東りょうとう公孫こうそん氏が滅ぼされると、これに乗じて朝鮮半島の北部一帯に勢力をのばし、313年には前漢以来続いてきた中国勢力の拠点である楽浪郡を滅ぼした。
4世紀後半の高句麗第19代王・広開土王こうかいどおう好太王)のときから隆盛期を迎え、その子の長寿王のときには都を鴨緑江おうりょくこう中流の丸都城がんとじょう集安しゅうあん)から大同江畔の平壌へいじょうに移し、遼東地方を領有して強盛となった。高句麗は北魏に朝貢するとともに南朝とも通交した。
3世紀の東アジア地図
3世紀の東アジア地図 ©世界の歴史まっぷ
3世紀初の朝鮮半島地図
3世紀初の朝鮮半島地図 ©世界の歴史まっぷ
5世紀初の朝鮮半島地図
5世紀初の朝鮮半島地図 ©世界の歴史まっぷ

三国時代(朝鮮)

また、朝鮮半島南部では、漢族が馬韓ばかん辰韓しんかん弁韓べんかんの三韓に分かれて小国家群をつくっていたが、ここにも統一の機運がおよび、4世紀なかばには半島西南部の馬韓の地に百済くだらが、東南部の辰韓の地に新羅しらぎが成立し、三国時代(朝鮮半島)に入った。

三国は、それぞれ北朝や南朝の諸政権と通交し、これらの権威をかりながら7世紀まで抗争を続けた。また弁韓(加羅・加耶)の地でも小国家の連合が進んだとみられるが、やがて百済と新羅の支配下に入った。

6世紀の朝鮮半島地図
6世紀の朝鮮半島地図 ©世界の歴史まっぷ

参考

launch 詳説世界史研究

三国時代(朝鮮半島)が登場する作品

大王の夢

大王の夢 三国時代(朝鮮半島)
大王の夢

link 大王の夢 王たちの戦争 あらすじ – 世界の歴史まっぷ

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