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ムハンマド=アフマド
ムハンマド=アフマド(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
ムハンマド=アフマド Muhammad Ahmad (1844〜1885) スーダンの宗教指導者。1881年にマフディー(救世主)を名乗り、マフディー国家樹立。重税に苦しむ貧農や牧畜民、地元商人などを組織して、エジプトの支配に抵抗するジハード(聖戦)を決行。エジプトを占領下におさめたイギリスが派遣した「太平天国」鎮圧の英雄ゴードン将軍率いる軍を首都ハルトゥームで全滅させ、ヨーロッパを震撼させた。

ムハンマド=アフマド

スーダンの宗教指導者。1881年にマフディーを名乗り、エジプト・イギリス軍と戦い、マフディー国家を樹立した。

参考 世界史用語集

みずから救世主と名乗り聖戦へ

スーダンの抵抗運動指導者。マフディー(救世主)を自称し宗主国エジプトにジハード(聖戦)を決行。エジプト軍を破り、太平天国の乱の英雄ゴードンが率いる英国軍も首都ハルツームで全滅させたが、その年に病死。この後スーダンはイギリスに征服される。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

アジア諸地域の動揺

オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ

ウラービー運動と英仏の植民地支配
マフディー運動
ムハンマド=アリー朝の支配下におかれたスーダンでは、1881年ムハンマド=アフマド Muhammad Ahmad(1844〜85)がマフディー(救世主)を宣言し、重税に苦しむ貧農や牧畜民、あるいは地元商人などを組織して、エジプトの支配に抵抗するジハードをくりひろげた。エジプトを占領下におさめたイギリスは、85年にゴードン将軍が率いる軍を派遣したが、マフディー軍はこれをハルトゥームに全滅させ、太平天国鎮圧の「英雄」の死はヨーロッパを震撼させた。マフディーの死後もその権威による教団国家を維持したが、フランスのアフリカ横断政策を恐れるイギリスは、再度制圧に乗りだし、98年マフディー軍を破り、スーダンを統治下におさめた。
ムハンマド=アフマド
ムハンマド=アフマド(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

西アジアの動向 エジプト

エジプト
1798ナポレオンのエジプト侵入(〜99)
1805ワッハーブ派、メディナ占領
1805ムハンマド=アリー、エジプトの実権を握る
1818ムハンマド=アリー、ワッハーブ朝を滅ぼす
1822ムハンマド=アリー、東スーダンを征服
1831第1次エジプト=トルコ戦争(〜33)
1839第2次エジプト=トルコ戦争(〜40)
1840ロンドン四国条約:ムハンマド=アリー、シリア放棄
1869スエズ運河完成
1875エジプト、スエズ運河会社の株式をイギリスへ売却
1876イギリス・フランス両国によるエジプトの財政管理
1881ウラービー運動(〜82):イギリス・フランス支配に抵抗するも失敗
マフディー運動(〜98):スーダンがマフディー国家樹立
1882イギリス軍、エジプトを占領、保護化
参考:山川 詳説世界史図録

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