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ペルシア戦争 ギリシア=ペルシア戦争とも呼ばれる。紀元前499年から紀元前449年にかけてギリシア諸都市とアケメネス朝ペルシアとの間で戦われた戦争。

ペルシア戦争

ペルシア戦争データ

年月日:紀元前499年
場所:ギリシア、小アジア他
結果:ギリシア連合軍の勝利
交戦勢力
アテナイ、スパルタ中心のギリシア連合 アケメネス朝、テーバイ他
指導者
レオニダス1世 ペリクレス テミストクレス ダレイオス1世 クセルクセス1世
戦力
不明 不明
損害
詳細不明 詳細不明

ペルシア戦争の戦争

イオニアの反乱、マラトンの戦い、テルモピュライの戦い、アルテミシオンの海戦、サラミスの海戦、プラタイアの戦い、ミュカレの戦い、ビュザンティオン包囲戦 (紀元前478年)、エイオン包囲戦、エウリュメドン川の戦い (紀元前466年)、キティオン包囲戦、サラミスの海戦 (紀元前450年)
ペルシア戦争当時のギリシア地図
ペルシア戦争当時のギリシア地図 ©世界の歴史まっぷ

イオニアの反乱

年月日:紀元前499年-紀元前493年 場所:小アジアとキュプロス 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS アイオリス、アテナイ、イオニア、エレトリア、カイア、キュプロス(アリスタゴラス・ミレトスの指導者) ギリシアは東方のオリエント諸国とは密接に交流し、そこから多くの影響を受けていた。しかしアケメネス朝ペルシアはしだいに勢力を西方におよぼし、ギリシアとの関係が深かったリディア王国を滅ぼしてついに小アジアのイオニア都市を支配するにいたった。 アケメネス朝ペルシアはギリシア都市に僭主せんしゅ政をもたせようと圧力をかけ、これに反発したイオニア諸市はミレトスの僭主アリスタゴラスの主導のもとに紀元前499年、反乱に立ち上がったがすぐに鎮圧された。 アケメネス朝ペルシアの専制的支配に対して民主政ポリスを擁護しようとの意識を高めたアテネが反乱都市に援軍を送っていたため(アケメネス朝には、アテネから亡命した僭主のヒッピアスがうけいれられており、ヒッピアスがアケメネス朝を後ろ盾にアテネの支配権の奪回をめざしていることもアテネを危惧させた。)、アケメネス朝ペルシア第3代王・ダレイオス1世はギリシア侵入に着手した。これがペルシア戦争である。

マラトンの戦い

年月日:紀元前490年9月12日 場所:ギリシアのマラトン 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS アテナイ、プラタイア(ミルティアデス・アテナイ軍人) (スパルタは宗教祭典と重なったため不参加) 最初の遠征は嵐のため失敗し、紀元前490年に第2回の本格的な遠征がおこなわれた。 トラキア、マケドニアを征服したペルシア軍はアッティカのマラトンに上陸した。 ミルティアデスが指揮官としてこれを迎え討ち、アテネは1万の重装歩兵軍でペルシア軍を破り、海へ押し戻した。アケメネス朝ペルシアはアテネ市を攻撃しようとしたがミルティアデスの作戦で撃退され、帰国せざるをえなかった。 以後アテネは艦隊の補強とギリシア=ポリス間の同盟関係の強化に努めた。 紀元前480年、ダレイオス1世の後を継いだアケメネス朝ペルシア第4代王・クセルクセス1世は、史上最大といわれる約20万の歩兵を動員してみずから第3回の遠征をおこなった。

テルモピュライの戦い

年月日:紀元前480年8月 場所:ギリシアのテルモピュライ 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア(アケメネス朝ペルシア王・クセルクセス1世) VS スパルタを中心とするギリシア連合軍(レオニダス1世・スパルタ王) 結果:ギリシア軍の敗退 アルテミシオンの海戦と平行して行われ、圧倒的な戦力差にも関わらずギリシア軍は優勢であったが、最終的に背後に回り込まれて敗退した。 スパルタ軍の勇猛さと、地形をうまく利用した作戦でペルシア軍を3日間に渡って食い止めたが、スパルタ軍とテスピアイ軍は全滅し、アッティカもペルシア軍が占領した。

アルテミシオンの海戦

年月日:紀元前480年 場所:エウボイア島北端アルテミシオン沖 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS アテナイを中心とするギリシア連合軍(テミストクレス・アテナイ軍人) 結果:ギリシア艦隊の撤退 テルモピュライの戦いでペルシア遠征軍が勝利したため撤退したが、この海戦ではギリシア艦隊は数で勝るペルシア艦隊とほぼ互角に渡り合った。

サラミスの海戦

年月日:紀元前480年9月 場所:ギリシアのサラミス島沖 交戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS ギリシア連合軍(テミストクレス・アテナイ軍人) 結果:ギリシア連合軍の圧勝 アテネのテミストクレスは市民全員を舟で避難させ、巧みな作戦でペルシア艦隊をサラミス湾に誘い込んで全滅させた。

プラタイアの戦い

年月日:紀元前479年8月 場所:ギリシアのプラタイア 交戦勢力:ペルシア残存勢力 VS ギリシア連合軍(スパルタ、コリントス、アテナイ)(パウサニアス・スパルタ王) 結果:ギリシア連合軍の圧勝 サラミスでの大敗に失望したクセルクセス1世は、将軍マルドニオス(ダレイオス1世の娘婿)に30万のペルシア陸軍の全指揮権を委ねて帰国してしまった。 右翼についたスパルタ軍だけで大半のペルシア兵を討ち取り、それが直接的な勝因に繋がった。

ミュカレの戦い

年月日:紀元前479年8月 場所:イオニアのミュカレ 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS ギリシア連合軍(レオテュキデス・スパルタ王) 結果:ギリシア連合軍の勝利

ビュザンティオン包囲戦 (紀元前478年)

年月日:紀元前478年 場所:ビュザンティオン 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS ギリシア連合軍(ペロポネソス同盟、デロス同盟)(パウサニアス・スパルタ王) 結果:ギリシア連合軍によるビュザンティオン攻略

エイオン包囲戦

年月日:紀元前475年 場所:エイオン 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS デロス同盟(キロン・アテナイ将軍) 結果:デロス同盟軍によるエイオン攻略

エウリュメドン川の戦い (紀元前466年)

年月日:紀元前466年または紀元前469年 場所:エウリュメドン川河口 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS デロス同盟(キロン・アテナイ将軍) 結果:デロス同盟の勝利

第一次ペロポネソス戦争

年月日:紀元前460年 - 紀元前445年 場所:古代ギリシア 抗戦勢力:ペロポネソス同盟(プレイストアナクス・スパルタ王)、ボイオティア VS デロス同盟(ペリクレス・アテナイ政治家)、ポキス 結果:引き分け、30年の和平 アテナイによる長城の建設、メガラの変節、スパルタの「アテナイ帝国」への警戒などが原因でギリシア連合軍内の、スパルタが盟主を務めるペロポネソス同盟とその他の同盟国(ボイオティアなど)と、アテナイが盟主を務めるデロス同盟との間で戦われた。

キティオン包囲戦

年月日:紀元前450年 場所:キティオン 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS デロス同盟(キモン・アテナイ将軍) 結果:デロス同盟のキティオン攻略失敗 アテナイは紀元前451年にスパルタとの第一次ペロポネソス戦争における5年期限の休戦条約を締結し、ひとまずはギリシアにおける争いから解放された。 そこでアテナイはキモン指揮の下でデロス同盟艦隊200隻をキュプロスに送った。そのうち60隻はエジプトでペルシアに反旗を翻したアミュルタイオスの援軍へと送られ、残りはキモンの下でキュプロスで戦った。キモンはキュプロスの大部分を制圧した後にキティオンを包囲したものの、包囲の途中で病死し、また糧秣が不足しだしたのでデロス同盟軍は撤退した。 キティオンを離れたデロス同盟艦隊はサラミスへと向い、サラミスの海戦でフェニキア人、キュプロス人、キリキア人から成る艦隊を破り、アテナイへと帰国した。 その一方で紀元前448年に第二次神聖戦争が起こったのを皮切りとしてアテナイはスパルタとの戦いの再開となった。

サラミスの海戦 (紀元前450年)

年月日:紀元前450年 場所:キュプロス島のサラミス 抗戦勢力:アケメネス朝ペルシア VS デロス同盟(不明) 結果:デロス同盟の勝利
※上記抗戦勢力の()は指導者

ペルシア軍遠征経過

第1回ペルシア軍遠征
前492年 地図オレンジ線参照 アケメネス朝ペルシア軍はタソス島を征圧したが、海軍がハルキディキ半島のアトス山のある岬を迂回する途中、暴風に遭遇して大損害を被り、陸軍もマケドニアでブリュゴイ族の夜襲を受け、遠征軍は撤退した。
第2回ペルシア軍遠征
前490年 地図ムラサキ線参照 三段櫂船600隻のペルシア艦隊はエーゲ海を横断し、ナクソス、カリストスを制圧し、イオニアの反乱を支援したエレトリアを征圧した。 アテナイを追放されてペルシアに亡命していた無能だった元僭主ヒッピアスの助言により、マラトンに上陸し、将軍ミルティアデス率いるアテナイ・プラタイア連合軍と交戦する。(マラトンの戦い) アテナイ・プラタイア連合軍は重装歩兵密集陣を駆使してペルシア軍を撃破する。
第3回ペルシア軍遠征
前480年 地図赤線参照 ダレイオス1世の後継クセルクセス1世率いるアケメネス朝ペルシアは、陸と海の両方から攻め込み、前480年 テルモピュライの戦いでスパルタを主力とした防衛戦を突破する。 関連映画: 300〈スリーハンドレッド〉 ペルシア軍がアテナイを占領する。 サラミス島に集結してたテミストクレス(アテナイのアルコン)率いるギリシア連合軍は、前480年サラミスの海戦で地の利を生かしてペルシア艦隊に勝利する。 サラミスの海戦で敗北したペルシア帝国のクセルクセス1世は戦意を喪失し、後をマルドニオスに任せてバギロニアの反乱を鎮めるために帰国し、ペルシア軍はマケドニアまで退き体制を整えなおした。 前479年、ペルシア軍は再度アテナイ民会に服従を要求したが、アテナイはその使者を殺したため、マルドニオスはアテナイ市街を破壊し尽くした。 前479年 プラタイアの戦い スパルタの重装歩兵密集陣の活躍によってペルシア軍を敗退させ、ペルシア軍の総司令官マルドニオスは戦死した。 前479年 ミュカレの戦い 再びイオニアでペルシアへの反乱がおき、スパルタ含めたギリシア連合が参戦し、勝利する。
終結
前449年 カリアスの和約が成立してペルシア戦争は終結した。

ペルシア戦争の影響

サラミスの海戦で、重装歩兵になれない無産市民が、船(三段櫂船)の漕ぎ手として大活躍し、アテネの兵士として認められ政治に参加できる存在になる。 前478年 デロス同盟 対ペルシア防衛を目的に、アテナイは各ポリスが参加するデロス同盟を結成する。 スパルタ、アテナイ、コリントスなどギリシア連合31ヶ国は、ペルシアの遠征によって結束したかに見えたギリシアであったが、アテナイとスパルタの権力闘争が表面化した。
イオニアからペルシア勢力を駆逐したアテナイは、一連の戦争の中で陸軍国から強力な海軍力を擁する海上貿易国家へ成長することに成功し、アイギナを抑えてエーゲ海東海岸を勢力下に納め、全盛時代を迎えた。ペルシア戦争のためにアテナイ主導で締結されたデロス同盟では、各ポリスから一定の資金が軍資金として集められたが、経済的結束によって同盟関係は強化されつつも、実態としてはアテナイによるポリスの支配であった。事実、紀元前470年頃に同盟を離脱したナクソスは、アテナイ軍に包囲されて強制的に同盟に再加入させられ、また、同盟国からの徴収金はアテナイの国庫に流用されるようになり、後には金庫そのものがアテナイに置かれアクロポリス再建にも使用された。 これに対して、ペルシア戦争に重要な貢献のあったスパルタなど農業中心のポリスには戦勝による見返りがほとんどなかった。交易活動が盛んなコリントスやアイギナもアテナイの勢力に圧倒された。さらにアテナイがテッサリア、メガラに次いでスパルタの敵対国アルゴスとの同盟を結んだことによって、スパルタとアテナイとの間に決定的な軋轢が生じ、エーゲ海交易の主導権を握られたコリントス、アイギナとともにスパルタはアテナイに敵対するに至った。この対立が後のペロポネソス戦争に発展していく。

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