ベルリン=コンゴ会議
アフリカの植民地化地図 ©世界の歴史まっぷ
ベルリン=コンゴ会議 (1884〜1885) アフリカ分割に関する列強による国際会議。ビスマルクの提唱で開催され、コンゴ川流域の統治権をベルギーに、ニジェール川河口の統治権をイギリスに認めたほか、領土占領の相互通告などの分割方式を定めた。

ベルリン=コンゴ会議

アフリカ分割に関する列強による国際会議。ビスマルクの提唱で開催され、コンゴ川流域の統治権をベルギーに、ニジェール川河口の統治権をイギリスに認めたほか、領土占領の相互通告などの分割方式を定めた。

参考 世界史用語集

帝国主義とアジアの民族運動

世界分割と列強対立

アフリカの植民地化
コンゴの経済的重要性に着目したベルギーレオポルド2世(ベルギー王)(位1865〜1909)がその領有を宣言すると、イギリスとポルトガルはこれを妨害しようとした。ここで、アフリカ進出の機会をうかがっていたビスマルクが仲介に乗りだし、1884〜85年にベルリン会議を開いた
ベルリン=コンゴ会議、あるいはベルリン西アフリカ会議ともいう。イギリス・ドイツ・オーストリア・ベルギー・デンマーク・スペイン・アメリが合衆国・フランス・イタリア・オランダ・ポルトガル・ロシア・スウェーデン・オスマン帝国の14カ国が参加した。
会議は、コンゴ盆地の自由貿易と中立化、コンゴ川およびニジェール川での「航行の自由」、奴隷貿易の禁止などを定め、さらに新たにアフリカの領土を合併する場合、その地域での他国の権益と通商・航行の自由を確実に保証できる実体的な支配権を確立しなければならないという原則を取り決めた(実効支配の原則)。そのためには、植民地の境界を画定し、現地に行政・治安機構をつくる必要があった。こうして、ベルリン会議でアフリカ分割の大原則が定められてから、列強によるアフリカの植民地化は急速に進んだ。そして、第一次世界大戦直前には、アフリカの独立国はリベリア共和国 ❸エチオピア帝国だけになってしまった。
リベリアという国名が liberty (自由)を意味することからわかるように、アメリカ合衆国の解放黒人奴隷が入植し、1847年に独立した共和国である。

参考

person_outlineby