ブレスト=リトフスク条約
ブレスト=リトフスク条約(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ブレスト=リトフスク条約 Brest-Litowsk (1918.3.3)

ソヴィエト政権が、ドイツなど同盟国と結んだ単独講和条約。この条約でロシアはポーランド・リトアニア・エストニアなど広大な領土を失い、賠償金を約束した。しかし、ドイツと連合国の休戦協定が成立すると条約は破棄された。

ブレスト=リトフスク条約

ソヴィエト政権が、ドイツなど同盟国と結んだ単独講和条約。1917年12月から交渉が始まったが、ドイツのきびしい領土要求で難航し、18年3月3日に成立した。この条約でロシアはポーランド・リトアニア・エストニアなど広大な領土を失い、賠償金を約束した。しかし、ドイツと連合国の休戦協定が成立すると条約は破棄された。

参考 世界史用語集

二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

合衆国の参戦と戦争の終結

1918年3月、ドイツ軍の攻勢をうけたソヴィエト政府はドイツなどとの単独講和にふみきり、ブレスト=リトフスク条約 Brest-Litovsk を締結して戦線から離脱した。ドイツは東部戦線の兵力を西部方面に投入して最後の大攻勢をかけたが、補給不足のため進撃は停止した。9月にはブルガリア、10月にオスマン帝国、11月にはオーストリアも単独休戦をおこない、皇帝はスイスに亡命した。

ブレスト=リトフスクはベラルーシの都市で、ロシア側の全権はトロツキーであった。この条約で、フィンランドとウクライナは独立し、ロシアが放棄したポーランド・バルト地域は事実上ドイツの支配下に入った。大戦後、ドイツと連合国との休戦協定により破棄された。

ソヴィエト政権と戦時共産主義

1918年1月、憲法制定議会が召集されたが、反ソヴィエトの社会革命党が第一党を占めた。そのため、ボリシェヴィキは憲法制定議会を封鎖してソヴィエトを基盤とする体制をきずき、社会主義の確立を目標とすることを明らかにした。ドイツ側とは単独講和にふみきりブレスト=リトフスク条約を結んだ。ボリシェヴィキは共産党と改称し、首都は内陸のモスクワに移された。一方、ボリシェヴィキと共闘してきた社会革命党左派は侵略的な内容の講話条約の締結、農民からの食料徴発やビリシェヴィキの中央集権国家建設に反対して武装蜂起した。共産党はこの反乱を鎮圧して一党独裁体制をきずいた。レーニンは、農業国家ロシアでの革命は先進工業国での革命への第一歩と考えていた。

参考

63.第一次世界大戦

63.第一次世界大戦流れ図
63.第一次世界大戦流れ図 ©世界の歴史まっぷ

アメリカの参戦・ロシアの崩壊と大戦の集結

長引く戦争に対して厭戦えんせん気分がもっとも強いロシアで革命がおこり、新政権は翌18年3月に、ドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)を結んで戦争から離脱した。講和に先だってソヴィエト政府はそれまでの秘密外交の暴露を行なって、全交戦国民に動揺を与えたが、アメリカのウィルソン大統領は1918年1月、十四カ条の民主的な平和原則を発表して動揺を鎮めた。