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フェルナンド7世(スペイン王)
フェルナンド7世(スペイン王)(フランシスコ・デ・ゴヤ画/プラド美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

フェルナンド7世(スペイン王)

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カルロス4世(スペイン王)

ジョゼフ・ボナパルト

イサベル2世(スペイン女王)

フェルナンド7世(スペイン王) Fernando VII (1784〜1833) スペイン・ブルボン朝国王(在位1808/1813〜1833)。即位してすぐにナポレオン1世に退位させられ幽閉される。ナポレオンの兄ジョゼフ=ボナパルトが王位に就き、スペインはフランスの支配下におかれたが、根強い市民の反フランス反乱(半島戦争)がくりひろげられた。ウィーン会議の決定で復位したが、専制政治を行ない国力は衰退。サリカ法を無視して娘に譲位してカルリスタ戦争の原因をつくった。

フェルナンド7世(スペイン王)

スペイン王(在位1808、14~33)。カルロス4世(スペイン王)とパルマ公女マリア・ルイザの子。父の即位後アストゥリアス公。19世紀の初め、父の寵臣宰相M.ゴドイの政策に反対して、フェルナンド派を結成、親ナポレオン政策をとった。1808年3月のアランフェスの反乱により、カルロスは退位、ゴドイは免職となり、フェルナンドが即位した。しかし5月バイヨンヌ会議でナポレオン1世に退位させられ、フランスのバランセーに幽閉された(08~13)。14年3月スペインに戻り王座につき民主的憲法を廃止し、自由主義者を圧迫して反動政治を行なった。一方、キューバ、プエルトリコ以外のラテンアメリカ植民地を失い国力は衰退した。『サリカ法典』を無視して、王妃マリア・クリスティナとの娘イサベル2世(スペイン王)を王位継承者にしてカルリスタ戦争の原因をつくった。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

欧米における近代社会の成長

フランス革命とナポレオン

大陸封鎖とヨーロッパ諸国のナショナリズム
スペインもブルボン家が追放されたあと、ナポレオンの兄ジョゼフが王となりフランスの支配下におかれた。1808年5月、首都マドリードで市民の反フランス反乱がおこった。これはフランス軍により過酷に鎮圧されたが、反乱と抵抗は地方に広がり、1814年まで根強いゲリラ活動がくりひろげられ、この「半島戦争」はナポレオンを悩ませた。

欧米における近代国民国家の発展

ウィーン体制

ラテンアメリカの独立
南アメリカのスペイン領植民地ではフェルナンド7世(スペイン王)の専制政治に対して、また宗主国スペインが特定の商人や官僚に対して特権を付与したので、地主としての経済力を持っていた現地生まれの白人であるクリオーリョ Criollos は反発を強めた。
ラテンアメリカに派遣されたスペイン本国人のことをペニンスラール peninsular というが、彼らが実権を掌握してクリオーリョらを搾取した。
ラテンアメリカ諸国の独立地図
ラテンアメリカ諸国の独立地図(19〜20世紀)©世界の歴史まっぷ

参考

詳説世界史研究

スペインの宮廷画家・ゴヤのみたスペイン反乱

1808年5月3日
1808年5月3日(フランシスコ・デ・ゴヤ画/プラド美術館/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

「1808年5月3日」: フランス軍に対抗するマドリード市民の蜂起は1808年5月2日に始まるが、3日にはフランス軍による市民の処刑が始まった。フランシスコ・デ・ゴヤは、野蛮人にならないようにとの永遠の教訓を与えるために、「1808年5月3日」を描いたという。この絵の中央に位置する白いシャツの男性の掌には、キリストを思わせる聖痕(磔刑に際してつけられた傷)が描かれている。 参考:山川 詳説世界史図録

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