ナーランダ・マハーヴィハーラ
マハーヴィハーラWikipedia

ナーランダ・マハーヴィハーラ

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ナーランダ・マハーヴィハーラ (ナーランダ僧院 or ナーランダ大学) (紀元前3世紀〜紀元後13世紀)

グプタ朝のインド古典文化の黄金期に創建された。中国僧の玄奘げんじょうはじめ多くの僧が集った、インド随一の学問寺。
インド亜大陸において最古の大学として顕著な存在で、遺構は世界遺産に登録されている。

ナーランダ・マハーヴィハーラ

世界遺産

ビハール州ナーランダ・マハーヴィハーラ(ナーランダ大学)の遺跡
多くの僧が集ったインド随一の学問寺の遺構。インド北東部ビハール州に位置するナーランダにある、紀元前3世紀から後13世紀にかけて運営された、修道的・教育的な機関の考古学的遺構。ナーランダの大学は、インド亜大陸において最古の大学として顕著な存在で、ここでは800年も途切れることなく系統的な知識の伝達が続けられた。遺構にはストゥーパや聖廟、住居や教育関連の建物としての僧院、漆喰や石、金属で作られた重要な美術作品も含まれ、当地の歴史は、仏教の宗教への発展および修道と教育の伝統の繁栄を証明している。

参考 UNESCO World Heritage Centre

ナーランダ・マハーヴィハーラ
ナーランダ・マハーヴィハーラ(東塔遺跡)©Wikipedia

ナーランダの遺跡(インド・ビハール州)。インド随一の学問寺で、玄奘がいた頃は数千人の学僧が集まったという。12世紀にイスラーム勢力による破壊を受け、現在は遺跡が残る。

場所

見取り図

ナーランダ・マハーヴィハーラ
ナーランダ・マハーヴィハーラ ©UNESCO

launch whc.unesco.org/en/list/1502/multiple=1&unique_number=2089

アジア・アメリカの古代文明

インドの古代文明

グプタ朝と古典文化

グプタ朝の時代はまたインド古典文化の黄金期でもあった。あらゆる面で伝統への回帰が見られたこの時代に、バラモンが影響力を回復し、彼らの聖典語であるサンスクリット語が公用語として宮廷で用いられた。
仏教はかつての隆盛を失いつつあったが、各地の僧院を中心に教学研究は続けられており、アサンガ(無著むぢゃく)、ヴァスバンドゥ(世親せしん)兄弟によって大乗仏教の理解が深められた。仏教教学の大中心となったナーランダー僧院が創建されたのもこの時代である。

詳細:link グプタ朝と古典文化 – 世界の歴史まっぷ

諸王国の抗争
グプタ朝の崩壊後、分裂していた北インドを再び統一したのはハルシャ・ヴァルダナ戒日王かいにちおう)である。彼は都をカニヤークプジャ(カナウジ)におき、諸王侯のうえに君臨するという封建的体制を採用してたくみに統治した(ヴァルダナ朝)。しかしこの王国は短命で、ハルシャの死とともに崩壊した。ハルシャはヒンドゥー教・仏教の熱心な保護者としても知られる。また文芸・学問を奨励し、みずからもサンスクリット語のすぐれた戯曲や詩を書いている。この王の治世にナーランダー僧院で仏教を学んだ中国僧の玄奘げんじょうは、王に招かれ厚遇を受けた。その旅行記『大唐西域記』には、国内の平和と繁栄の模様が記されている。ハルシャと太宗(唐)との間には使節の交換がおこなわれ、唐朝からは王玄策おうげんさくが派遣された。
ヴァルダナ朝地図
ヴァルダナ朝地図 ©世界の歴史まっぷ

詳細:link 諸王国の抗争 – 世界の歴史まっぷ

参考

launch 詳説世界史研究

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