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トルコマンチャーイ条約 カジャール朝 カジャール朝とアフガニスタン 19世紀のイラン・アフガニスタン地図
19世紀のイラン・アフガニスタン ©世界の歴史まっぷ
トルコマンチャーイ条約 Torkomanchay (1828) トルコマンチャーイ条約 第2次イラン=ロシア戦争の講和条約としてロシアとカージャール朝間で締結した不平等条約。ロシアにアルメニアを割譲し領事裁判権を認めた。以後諸外国とも不平等条約を締結させられ、列強の侵略が本格化した。

トルコマンチャーイ条約

第2次イラン=ロシア戦争の講和条約として、ロシアとカージャール朝のあいだに締結された不平等条約。カージャール朝はロシアにアルメニアを割譲し、領事裁判権を認めた。この条約を契機に、カージャール朝は諸外国とも不平等条約を締結し、列強のイランへの干渉の道を開いた。

参考 世界史用語集

アジア諸地域の動揺

オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ

カージャール朝とアフガニスタン
19世紀のイラン・アフガニスタン
19世紀のイラン・アフガニスタン地図 ©世界の歴史まっぷ
19世紀以降は帝政ロシアが南下政策をとり、カフカスや中央アジアへの領土拡大をねらっていた。1810年にまずグルジアを併合し、カージャール朝はこれを奪回しようと遠征軍を送ったが敗北し、ゴレスターン条約 Golestan (1813)によって北アゼルバイジャンを譲った。1826年に再度カフカスに遠征しロシアと戦ったが、これに敗れ、トルコマンチャーイ条約 Torkomanchay (1828)によってアルメニアを失い、さらに治外法権と市場の開放を認めた。東方ではアフガニスタンをめぐってイギリスと衝突し、1841年の講和でロシアと同様の不平等条約を結ばされ、56年にはヘラートを攻撃したが、イギリスに阻まれた。

西アジアの動向 イラン・アフガニスタン

イラン・アフガニスタン
1722ロシア軍、イランに侵入
1736サファヴィー朝滅亡、アフシャール朝成立
1739アフシャール朝のナーディル=シャー、デリー占領(〜40)
1747アフガン王国独立
1750イランにザンド朝成立(〜94)
1794カージャールのアーガー=ムハンマド、ザンド朝を滅ぼす
1796アフシャール朝滅亡、カージャール朝成立
1804第1次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北)
1813年ゴレスターン条約条約(ロシアに北アゼルバイジャンを譲る)
1826第2次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北)
1828年トルコマンチャーイ条約(ロシアに治外法権を認め、東アルメニア割譲)
1838第1次アフガン戦争、イギリスの侵略失敗(〜42)
1848バーブ教徒の反乱(〜52)
1857イギリス=イラン戦争終結(56〜)
1869アフガーニ、カイロに移住、活動再開
1878第2次アフガン戦争(〜80) → イギリス軍、カブール占拠
1891イラン、タバコ=ボイコット運動
参考:山川 詳説世界史図録

参考

詳説世界史研究

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