セルビア王国(中世)
1360年ころの東ヨーロッパ ©世界の歴史まっぷ

セルビア王国(中世) (1171〜1346)

南スラヴ人の一派であったセルビア人がバルカン半島西部に形成した王国。12世紀後半ネマニッチ朝を創始したステファン・ネマニャによりビザンツ帝国からの独立を達成。14世紀前半のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンの時代に最盛期に達し、セルビア教会は大主教座から総主教座に昇格、領土はスコピエを都とするセルビアのほかに、アルバニア・マケドニア・ギリシアの一部にまでおよんだ。

セルビア王国(中世)

ヨーロッパ世界の形成と発展

東ヨーロッパ世界の成立
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東ヨーロッパ世界の成立

東スラヴ人の動向

古代のスラヴ人は、ドニエプル川流域からヴィスワ川流域一帯、特にカルパティア山脈より北の地域に居住し、農耕・牧畜と狩猟・漁労で生計を立てていたが、民族大移動の刺激を受け、6〜7世紀にかけてゲルマン人が移動した後に広がっていった。

スラヴ人の移動と東欧地域の宗教地図
スラヴ人の移動と東欧地域の宗教地図 ©世界の歴史まっぷ
1360年ころの東ヨーロッパ 地図
1360年ころの東ヨーロッパ 地図 ©世界の歴史まっぷ

バルカン半島に南下した南スラヴ人の多くは、その地を支配していたビザンツ帝国に服属し、ギリシア正教を受け入れていった。
そのうち、セルビア人は長らく部族国家の状態に位あったが、11世紀後半には王国を形成し(セルビア王国(中世))(1171〜1346)、12世紀後半ネマニッチ朝を創始したステファン・ネマニャ(位:1171〜1196)によりビザンツ帝国からの独立を達成した。
そして、14世紀前半のステファン・ウロシュ4世ドゥシャン(位:1331〜1355)の時代に最盛期に達し、セルビア教会は大主教座から総主教座に昇格、領土はスコピエを都とするセルビアのほかに、アルバニア・マケドニア・ギリシアの一部にまでおよんだ。彼らは自ら「セルビア人・ギリシア人の皇帝」を宣言、ビザンツ皇帝にとってかわろうとしたが果たせず、死後その領土は分裂した。そして、東方から進出してきたオスマン帝国にコソボの戦い(1389)で決定的な敗北を喫し、1459年にはその支配下に入った。

詳細:link 南スラヴ人の動向 – 世界の歴史まっぷ

参考

launch 詳説世界史研究

歴代君主

セルビア王国・ネマニッチ朝(1168年〜1371年)

  1. ステファン・ネマニャ
  2. ステファン・ネマニッチ
  3. ステファン・ラドスラヴ
  4. ステファン・ヴラディスラヴ
  5. ステファン・ウロシュ1世
  6. ステファン・ドラグティン
  7. ステファン・ウロシュ2世ミルティン
  8. ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ / ステファン・コンスタンティン(対立王)
  9. ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン
  10. ステファン・ウロシュ5世
  11. ヴカシン・ムルニャヴチェヴィチ, シメオン・ウロシュ・パレオロゴス(共同)

参考 Wikipedia

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