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ジャワ戦争
ジャワ戦争 デ・コック将軍に降伏するディポヌゴロ王子(Nicolaas Pieneman画/アムステルダム国立美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
ジャワ戦争 (ディポネゴロ戦争 1825〜1830) オランダの支配に対し、ジョクジャカルタの王族がおこした反乱。指導者の名前をとって、ディポネゴロ戦争ともいう。オランダは反乱鎮圧に成功したが、東インド政庁(オランダ政庁)の財政は悪化した。

ジャワ戦争

  • ジャワ戦争:オランダの支配に対し、ジョクジャカルタの王族がおこした反乱。オランダは反乱鎮圧に成功したが、東インド政庁の財政は悪化した。
  • オランダ政庁:オランダが東インド植民地支配のために、ジャワのバタヴィアに設置した役所。1799年にオランダ東インド会社を解散し、東インド植民地は本国の直轄領となった。政府は政庁を設置し、東インド総督が統治にあたった。

参考 世界史用語集

インドネシアでジャワ人が起した反オランダ闘争 (1825~30) 。イギリスの中間統治 (11~16) ののち、ジャワに復帰したオランダが数々の失政を行なったため、ジャワ人不平分子は失意の王子ディポ・ネゴロの指揮のもとに蜂起し、ジョクジャカルタを占領した。オランダは苦戦の末、要塞を築いて反撃し、首領を捕えて反乱を鎮圧した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

アジア諸地域の動揺

南アジア・東南アジアの植民地化

諸島部の植民地化
ジャワ島住民のオランダに対する大反乱(1825〜30) のあと、1830年に東インド総督に就任したファン=デン=ボス Van den Bosch (1780〜1844)は、オランダ本国政府とバタヴィア(総督府)政庁(オランダ政庁)の財政危機を救うため、強制栽培制度の拡大復活を含む統制経済を実施した。これはコーヒー・砂糖キビ・藍・タバコなどの輸出用作物を指定し耕地の一部に強制的に栽培させる制度であるが、これにより稲作が損なわれ、農民を困窮させたため、本国からも強い批判がでて、1860年代から徐々に廃止された。この間、1850年に貿易の政府独占は廃止され、自由経済が採用されたため、これ以後は私企業によるプランテーション経営が発達することになった。また植民地経営はスマトラやボルネオなどジャワ島周辺の島々にまで広げられた(オランダ領東インド)。
東南アジアへの侵略と統治地図
東南アジアへの侵略と統治地図 ©世界の歴史まっぷ

ジャワ戦争、あるいは指導者の名をとってディポネゴロ戦争と呼ばれる。

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