アメリカ=メキシコ戦争
アメリカ=メキシコ戦争 ベラクルス包囲戦(Adolphe Jean-Baptiste Bayot画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
アメリカ=メキシコ戦争 Mexican war (米墨戦争, 1846〜1848) アメリカのテキサス併合にともなう国境問題から発生した戦争。勝利したアメリカは、1500万ドルでカリフォルニア・ニューメキシコ両地方を獲得した。

アメリカ=メキシコ戦争

アメリカのテキサス併合にともなう国境問題から発生した戦争。勝利したアメリカは、1500万ドルでカリフォルニア・ニューメキシコ両地方を獲得した。

参考 世界史用語集

欧米における近代国民国家の発展

アメリカ合衆国の発展

領土の拡張
アメリカ合衆国の領土拡張地図
アメリカ合衆国の領土拡張地図 ©世界の歴史まっぷ

ピンクのエリアが

19世紀に入ってナポレオン1世がハイチの独立運動の鎮圧に関連して戦費の調達に苦しんだとき、アメリカにルイジアナの売却を打診してきた。当時のジェファソン大統領はこれをうけ、1803年買収した。また18年にはイギリスからレッド川盆地を獲得し、さらに19年スペインからフロリダを買収して、領土を着実に増大させていった。ルイジアナ購入以来アメリカ人はメキシコとの国境を無視してさかんにテキサスに入植した。この入植を排除しようとするメキシコ軍と衝突した有名な事件がアラモ砦の戦いで、メキシコ兵1544名を殺しながら砦にたてこもった187名全員が玉砕した。 これ以後「アラモを忘れるな」はアメリカ人の合言葉となり、併合達成への士気が鼓舞され、1845年テキサスの併合に成功した。このときアメリカのジャーナリズムはアメリカの領土は天から与えられた使命とする「マニフェスト=ディスティニー Manifest Destiny (明白な天命、膨張の天命)をさかんに訴えた。これがオレゴンの併合を必然的なものとし(46年併合)、さらにメキシコと戦って(アメリカ=メキシコ戦争 1846〜48)、48年カリフォルニアなどを獲得した。同年カリフォルニアに金鉱が発見されると翌49年この地域へ多くの移民が殺到し、開発が進んだ(フォーティーナイナーズ 「49年組」)。アメリカ南部に大陸横断鉄道を計画するガズデン Gadsden が当時のピアース大統領 F.Pierce (1804〜69 任1853〜57)の委任をうけて、メキシコと交渉してリオグランデ川の蛇行の関係から国境が不安定であったアリゾナとニューメキシコの南端部を53年購入し、現在の領土の大半が確定した。
ルイジアナは1763年のパリ条約でフランス領からスペイン領に変更されていたが、1800年10月のサン=イルデフォンソの密約でスペインからフランスのナポレオンに割譲されていた。
南北戦争
南北対立と南北戦争時のアメリカ地図
南北対立と南北戦争時のアメリカ地図 ©世界の歴史まっぷ

❶1861 サムター要塞, ❷1861 第1次ブルラン, ❸ 1862 ヘンリー要塞, ❹ 1862 ドネルソン要塞, ❺ 1862 シャイロー, ❻ 1862 ニューオリンズ, ❼ 1862 第2次ブルラン, ❽ 1862 アンティータム, ❾ 1862 フレデリックスバーグ, ❿ 1863 チャンセラーズヴィル, ⓫ 1863 ヴィックスバーグ, ⓬ 1863 ゲティスバーグ, ⓭ 1864 荒野の戦い, ⓮ 1864 ピーターズバーグ, ⓯ 1864 アトランタ, ⓰ 1864 フランクリン, ⓱ 1864 ナッシュヴィル, ⓲ 1865 アポマトックス 参考:ビジュアル 世界史1000人(下巻)

両地域の対立は西部の開拓が進むにつれ、西部に新しく生まれる州の争奪というかたちで激化した。1820年両地域はミズーリ協定を結んで北緯36度30分以北に生まれる新しい州は奴隷制度を認めない自由州、それ以南に生まれた州は奴隷州にすることにして妥協した。しかし、1822年よりアメリカ合衆国で解放された黒人がリベリア共和国の建設を開始して47年独立を達成したように、黒人奴隷の開放へむけての運動は耐えることがなかったし、合衆国の内部対立の火種としてくすぶり続けた。アメリカ=メキシコ戦争の結果、アメリカ合衆国に編入されたカリフォルニア・ニューメキシコの扱いに関して南部と北部との間で対立がおきたが、カリフォルニアは自由州とするがニューメキシコについては住民の決定を待ち、さらに北部は奴隷逃亡取締法を実施することで妥協が成立した(1850年の協定)。2年後の52年、ストウ夫人 Stowe (1811〜96)は黒人奴隷を主人公とする『アンクル=トムの小屋』を出版したので、北部地域では黒人奴隷制反対の世論が高まった。

帝国主義とアジアの民族運動

世界分割と列強対立

ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
メキシコ以南のラテンアメリカ諸国は独立後、欧米にならった憲法と法体系を整え、共和政を採用した。しかし、植民地時代の社会構造が独立後も維持され、大土地所有制度に基礎をおくカウディーリョ caudillo という軍人頭領のボス政治が横行した。カウディーリョの支配は独立後の混乱に政治的安定をもたらしたものの、少数の白人(クリオーリョ)の富裕階級の利益に奉仕する寡頭政治体制がしかれ、民主主義の発展は阻害された。人口の大多数を占めるインディオ・黒人・混血たち は社会の下層を形成して大きな貧富の差に苦しみ、参政権も阻まれた。カウディーリョ間の抗争が内乱に発展することも珍しくなく、国境紛争も少なくなかった。そのようなカウディーリョのひとりであるメキシコのサンタ=アナはアメリカとの戦争(アメリカ=メキシコ戦争, 1846〜48)でカリフォルニアを割譲するなど国土の半分を喪失した(arrow_forward 合衆国の対外発展とメキシコ)。
白人とインディオの混血をメスティーソ、白人と黒人の混血をムラート、インディオと黒人の混血をサンボという。人種の坩堝るつぼというべきこの混血社会をカスタ社会と呼ぶ。

参考

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