南蛮文化
『南蛮屏風』右隻()狩野内膳画/神戸市立博物館蔵)©Public Domain

南蛮文化

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南蛮文化

出版:キリシタン版(活字印刷)『平家物語』『伊曽保物語』『日葡辞書』
学問:天文学・地理学・医学
絵画:油絵・銅版画
生活文化:時計・眼鏡・火縄銃・葡萄酒・オルゴール・オルガン・タバコ

南蛮文化

南蛮文化
『南蛮屏風』右隻()狩野内膳画/神戸市立博物館蔵)©Public Domain

入港した南蛮人たちが南蛮寺に向かい、外国人宣教師らが出迎えている様子描いたもの。油絵や銅版画の技法が伝わり、南蛮屏風は狩野派らによって描かれた。南蛮人の帽子・鼻眼鏡・スボン・マント・ひだのついた衿などは、日本人の興味をよんだ。(左下)トラを運ぶ黒人の従者:南蛮屏風によトラのほか馬や人鳥などの動物を運んデイる様子も描かれている。(中央赤い服)カビタン(船長):太もものふくらんだズボンのことをカルサンといい、南蛮人の服装の特徴。(右黒マント)黒の長衣とマント、茶色の長衣と長い腰紐は、それぞれイエズス会士とフランシスコ会士とみられる。 参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

この時代には南蛮貿易が盛んになり、宣教師の布教が活発になるにつれて、異色の南蛮文化が開花した。フランシスコ=ザビエル大内義隆に機械時計・眼鏡・火縄銃・葡萄酒・オルゴールなどを贈り、また織田信長も安土で、オルガンやクラヴォ、ヴィオラなどの楽器による演奏を聴くなど、大名の間では宣教師を介して早くからヨーロッパ文化の受容が始まっていた。

やがて、庶民の間にも喫煙(タバコ)の風習が広まり、南蛮風の衣服を身につけるものも出てきた。宣教師たちは、天文学・医学・地理学など実用的な学問を伝えたほか、油絵銅版画の技法をもたらし、日本人の手によって西洋画の影響を受けた南蛮屏風も描かれた。

出版

また金属製活字による活字印刷術も宣教師ヴァリニャーニによって伝えられた。活字印刷機も輸入され、ローマ字によるキリスト教文学·宗教書の翻訳、日本語辞書、日本古典の出版などが行われた。これらイエズス会によって出版された出版物をキリシタン版といい、そのうち天草の印刷所で出版されたものをとくに天草版という。代表的なものとしては『どちりな゠きりしたん』『天草版平家物語』『天草版伊曽保物語(エソポのハブラス)』『日葡辞書にっぽじしょ』『日本大文典』などがある。日本ではこれらの文化を積極的に受け入れ、なかには鉄砲やたばこなどのように日本の社会に根づいたものもあるが、活字印刷術がその後は木版にとってかわられたのをはじめ、技術・学問などの多くは大きな発展を遂げることなく消えていった。ただ、衣服や食物の名には今日なおその影響が色濃く残っており、カステラ・カッパ・カルタ・コンペイ卜ウ・シャボン・パン・ラシャ・ジュバンなど、多くのポルトガル語が日本語に同化して今も生き続けている。

オルガン

ポルトガル人が日本に紹介したもののなかで日本人が最も喜んだのはオルガン演奏であったと、イエズス会宣教師は記している。信長も安土でオルガン演奏を聴いたが、宜教師がオルガン演奏会を開くと、どの土地でも多くの日本人が集まったという。音色も旋律もまったく異なるヨーロッパの音楽が、当時の日本人の心にどう響いたのか、興味がつきない。

『日葡辞書』

日葡辞書にっぽじしょ』はイエズス会宣教師らによって編集された日本語辞書で、本編が1603(慶長8)年、補遺がその翌年に刊行された。当時、日本で用いられていた日常語や文章語をポルトガル語で解説した、いわゆる日本語゠ポルトガル語辞書であり、採録語彙は約3万2800語にも及んでいる。語梨の豊富さといい、解説の詳しさといい、当時の日本人がつくった辞書よりもはるかに優れており、『日葡辞書』によって初めてその言葉の存在や意味が知らされる語も少なくない。そのため、今日も日本史や日本語学の研究には欠かせない文献であり、ポルトガル人が日本人に残してくれた貴重な文化遺産の一つとなっている。

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