春日権現験記 鎌倉文化の特色
『春日権現験記』巻二、拝殿前に並ぶ舞人たち(高階隆兼筆/三の丸尚蔵館蔵)©Public Domain

鎌倉文化の特色

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鎌倉文化の特色

  1. 文化が庶民性をおびてきた:公家や僧侶の弱体化→武士や農民にも解放→難解な教養を必要としない新仏教の台頭、文字が読めない武士・農民にも親しみやすい語りの文学としての軍記物語の流行、物語を図解した絵巻物の発達
  2. 武士の文化:公家の寝殿造に対する武家造の実用性、東大寺金剛力士立像に見られる写実性とたくましさ
  3. 宋の滅亡により日本に亡命する多くの禅僧がもたらした新しい要素、蒙古襲来による国家意識の目覚め:宋学研究、伊勢神道

鎌倉文化の特色

鎌倉時代の文化は、平安時代のいわゆる国風文化の伝統を基盤として、新興の武士層や農民層の価値観がつけ加えられて成立した文化である。政治や社会・経済の分野でみたように、 この時代は公家の支配力が残るとともに、武士や農民の勢力が伸張していった時代である。文化についても、同様のことがみられるのである。

鎌倉文化の特色は、第一に文化が庶民性をおびてきたことである。京都周辺の公家や僧侶が相対的に弱体化するとともに、彼らによって独占されていた文化は武士や農民にも解放され、庶民の文化として再生された。地方武士が京都や鎌倉へ番役ばんやくのために往来し、商人・宗教者・芸能の人々が各地を訪れたことは、中央の文化を地方へ普及させた。地方にも小都市が形成され、そこを場として庶民の文化が育っていった。例えば、難解な教養を必要としない新仏教の台頭、文字が読めない武士・農民にも親しみやすい語りの文学としての軍記物語の流行、物語を図解した絵巻物の発達などは、文化の庶民化の好例である。

第二の特色は、これまでの公家文化に対して、武家の文化が生まれ始めたことである。このころの公家は何事にせよ、旧例を守る、伝統にしたがう、という態度に終始していた。「新儀非法しんぎひほう」(新しくて非法である、不適当なさまをいう)という頻用語の存在が示すように、新しいこと=良くないことであった。文化もまさにその通りで、文化創造の熱意は失われ、平安時代のような華々しい創作活動は影をひそめてしまった。古き良き時代を懐古し、古典の研究、朝廷の儀式・先例の研究ばかりが行われた。一方、武家は実際性に富む文化を生むようになった。農村から身をおこし、素朴・剛健を属性とする彼らは、力強く生き生きとした文化をもたらした。公家の寝殿造に対する武家造の実用性東大寺金剛力士立像にみられる写実性とたくましさなどは、その代表である。

第三の特色は、 これは武家の台頭とは直接関係をもたないが、宋(王朝)元(王朝)など大陸の文化がもたらされたことである。日宋貿易の盛行に伴い、僧侶や商人が往来したことは先述したが、宋の減亡と元の成立という大陸の政情の変化によって、日本に亡命する禅僧などが多くいた。彼らは仏教はもちろん、生活文化においても新しい要素をもたらした。また、2度にわたって元の来襲を受け、外敵から国を守ろうとする国家意識がめざめたことも強調しておきたい。度会家行わたらいいえゆき(生没年不詳)による伊勢神道の大成、僧玄恵げんえ(?~ 1350)らによる宋学研究の隆盛は、国家意識の高まりのなかから生まれてきたといえる。

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