中央官制の変遷図 官僚制の確立
中央官制の変遷図 ©世界の歴史まっぷ

官僚制の確立

明治初期の高級官僚は薩長土肥、中堅・下級官僚は幕臣出身者が占めたが、1880年代以後、情実任用にかわり資格任用の制度が確立、帝国大学などの官吏養成の教育機関を整備し、卒業者が国家の指導者的地位につくようになった。

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官僚制の確立

中央官制の変遷図 官僚制の確立
中央官制の変遷図 ©世界の歴史まっぷ

日本における近代国家の形成は、政府の主導による改革を通じて進められることが多かったが、その際、もろもろの改革を行政面において実際に推進するうえで、大きな役割を果たしたのは政府の官僚であった。明治初期には、政府の高級官僚は人的構成において、明治維新の原動力となった薩長土肥さっちょうどひ4藩、中堅・下級官僚は幕臣出身者が高い比率を占めた。

1880年代以後、内閣制度・各省官制の制定などによって官僚機構の整備が進められると同時に、文官任用令の制定(1893年)など、これまでの情実任用(自由任用)にかわって、近代的な資格任用(試験による官吏の任用)の制度が確立された。また、これと並行して帝国大学をはじめとする官吏養成の教育機関が整備された。藩閥と政党の連立内閣ができるようになると政党員の間に猟官熱が高まったが、これを封じようとした第2次山県内閣は、1899(明治32)年に文官任用令を改正し、資格任用制度をいっそう強化するとともに、文官分限令を公布して官吏の身分保障を強化した

このとき、政党側、とくに憲政党は文官任用令の改正による資格任用制度の強化に強く反対し、政府は一部譲歩して、警視総監・警保局長・官房長・大臣秘書官などについて自由任用を認めることにした。

そののち、行政官僚における藩閥色はしだいに薄らぎ、明治末期には、帝国大学、とくにその法科大学(現在の東大法学部)出身者が漑級官僚のなかで大きな比重を占めるようになった。こうして官僚はその出身地や身分・出身階層などに関係なく、帝国大学卒業という学歴を通じて、国家の指導者的地位につくようになった。彼らは行政面における専門的な知識·技能の保持者として、国家の実質的な政策決定とその執行に大きな力を発揮し、新しい一種の特権的集団として、しばしば政党勢力と対抗する強力な政治勢力となったのである。

参考