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ジャーナリズムの発達
おもな新聞一覧 ©世界の歴史まっぷ

ジャーナリズムの発達

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ジャーナリズムの発達

1880年代にかけて新聞の多くは自由民権運動と結びついて、政治的主張を発表することを中心とした政論新聞の性格を強くもちながら、言論機関として著しい発展をとげた。このような政論新聞は当時、大新聞と呼ばれた。

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ジャーナリズムの発達

明治時代を通じて新しい文化はしだいに国民の間に広まっていったが、そのために大きな役割を果たしたのは、教育の普及、交通・通信機関の発達と相まって、新聞・雑誌などのジャーナリズムの発展であった。

ジャーナリズムの先駆は、江戸時代以来、庶民の間に広まっていた読売瓦版や戊辰戦争の最中に創刊された民間の『もしほ草』『中外新聞』、政府の『太政官日誌』などであるが、最初の日刊新聞は1870(明治3)年の『横浜毎日新聞』であった。1870年代には『東京日日新聞』『朝野新聞』『朝日新聞』(のち『大阪朝日新聞』)をはじめ、新聞や雑誌がつぎつぎと創刊された。1880年代にかけて新聞の多くは自由民権運動と結びついて、政治的主張を発表することを中心とした政論新聞の性格を強くもちながら、言論機関として著しい発展をとげた。このような政論新聞は当時、大新聞と呼ばれた。こうしたなかで、1880年代には福沢諭吉により、独立不覊どくりつふきを唱え中立の立場を掲げた『時事新報』も創刊された。

ー方、興味本位に社会の出来事を伝え、庶民に娯楽を与えるという色彩をおびた小新聞も、下の表の『読売新聞』をはじめ『平仮名絵入新聞』『仮名読新聞』(ともに1875年創刊)などがあって、1870年代後半にはかなりの勢力をもっていた。

1890(明治23)年前後になると両者の性格を兼ねそなえ、ニュース報道に重きをおいた全国的商業新聞が現れるようになってきた。『朝日』『毎日』の大阪系2紙がその中心で、日清戦争におけるニュース報道を一つの転機として、本格的な発展を始めた。

さらに、1900年代に入って、日露戦争のころになると、『万朝報』や『二六新報』を先駆けとして、有力新聞はしだいに大衆的色彩をおびるようになった 。発行部数の増大とともに、政治問題を社会面で扱ったり、大きな段抜き見出しを使ったり、内容も一般に大衆向けに情緒に訴える記事が多くなった。

『万朝報』と『二六新報』は1900年前後から勢力を伸ばした新興の新聞で、暴露主義的記事や下層社会の問題、対外硬派の主張を盛り込んだ記事を盛んにのせて、庶民の間に人気を呼んだ。

おもな新聞

新聞名創刊年内容
横浜毎日新聞1870神奈川県令の尽力で発刊された日本最初の日刊新聞。民権派
日新真事誌1872英人ブラックが東京で創刊。「民撰議院設立建白書」を掲載
東京日日新聞1872岸田吟香・福地源一郎らが入社。長州閥系御用新聞
郵便報知新聞
(のち報知新聞)
1872大新聞(自由民権運動期の政治評論を中心とする新聞)の代表。前島密の支持により創刊。立憲改進党機関誌となる
朝野新聞1874大新聞。民権派の政論新聞。立憲改進党の機関紙的存在となる
読売新聞1874小新聞(社会の事件を庶民に伝える新聞)の元祖。東京で創刊
朝日新聞
(のち大阪朝日新聞)
1879大阪で創刊された小新聞。東京にも進出。
時事新報1882福沢諭吉が創刊。商工業者が支持。諭吉の「脱亜論」を掲載
自由新聞1882最初は馬場辰猪・田口卯吉らが中心。自由党の機関紙
東京朝日新聞1888『朝日新聞』の東京支局がおかれ、新聞を発行
大阪毎日新聞1888大阪実業界の有力者が創刊。『東京日日新聞』を買収
日本1889陸羯南が発行の日刊新聞。国民主義を掲げ、藩閥政府を攻撃
国民新聞1890徳富蘇峰が発行の日刊新聞。のち山県・桂系の御用新聞
万朝報1892黒岩涙香が東京で創刊。日露戦争前、幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三が反戦論・非戦論を展開
二六新聞1893東京で秋山定輔により創刊。通俗性が強い
平民新聞1903平民社の機関紙。再三、発禁処分をうける

主要新聞の発行部数

1898(明治31)年における新聞の1年間の発行部数ベスト5は、つぎの通りである。『大阪朝日』3621万、『万朝報』3148万、『大阪毎日』3059万、『中央』2072万、『東京朝日』1548万。1日平均5万〜12万部くらいであった。

雑誌は明六社の『明六雑誌』(1874)、福沢諭吉の『民間雑誌』(1874)などが早かったが明治中期になると、『国民之友』(1887)・『日本人』(1888)についで『太陽』(1895)·『中央公論』(1899)など時事評論を中心とした総合雑誌がつぎつぎに創刊され、新聞とならぶ重要な言論機閾としての役割を果たした。こうしたなかで『団々珍聞まるまるちんぶん』(1877)やフランス人ビゴー(1860〜1927)の『トバエ』のように、政治や社会風俗を対象とする風刺画を中心とした雑誌も刊行された。また、『国家学会雑誌』(1889)·『史学会雑誌』のような各種の学術雑誌、女子教育から社会・文芸評論など広い分野を扱った『女学雑誌』(巌本善治、1885)や『文学界』(1893)·『しがらみ草紙』(1889)などの文芸雑誌も現れた。さらに明治後期になると、『労働世界』や『(週刊)平民新聞』などのように労働問題を取り上げたり、社会主義を主唱するものや、女性雑誌なども現れるようになった。1911(明治44)年に平塚明(1886-1971)らが創刊した『青鞜せいとう』は女性解放の主張を説いた異色の存在であった。

出版界でも、1880年代から活版印刷が発達し、これまでの木版本にかわって活版の洋装本が普及した。文学·芸術・学術など各方面にわたる出版物が広く刊行されるようになって、国民の文化の向上をもたらした。

おもな雑誌

雑誌名創刊年内容
明六雑誌1874明六社の機関誌。啓蒙思想を紹介
団団珍聞1877週刊雑誌(東京)。ビゴーが挿絵。政治・社会を風刺批判する
我楽多文庫1885尾崎紅葉・山田美妙らが結成した硯友社の文芸同人誌
女学雑誌1885日本最初の本格的女性雑誌。巌本善治が編集した
国民之友1887民友社の機関誌、徳富蘇峰らが平民主義を主張したが、蘇峰の国家主義への転向で『国民新聞』に吸収
日本人1888政教社の機関誌。三宅雪嶺らが国粋保存主義を主唱。のち『日本及日本人』と改称
文学界1893北村透谷らが創刊した文芸誌。一葉の小説、藤村の詩を紹介
太陽1895東京博文館発行の総合雑誌。高山樗牛が日本主義を主唱
少年世界1895東京博文館が発行した明治の代表的少年雑誌
ホトトギス1897松山で創刊された俳句雑誌。正岡子規や高浜虚子が協力
労働世界1897労働組合期成会・鉄工組合の機関誌。日本最初の労働組合雑誌
中央公論1899社会評論・学術・思想・文芸などの総合雑誌。滝田樗陰が協力
明星1900明星派・新詩社の機関誌。与謝野鉄幹・晶子夫妻が中心
アララギ1908伊藤左千夫が創刊した短歌雑誌
白樺1910武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派の同人誌
青鞜1911青鞜社の機関紙。創刊ごうで平塚らいてうは、「元始、女性は実に太陽であった」と宣言

参考

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