リキニウス・セクスティウス法


リキニウス・セクスティウス法 (紀元前367年)

紀元前367年、共和政ローマの護民官であったリキニウスとセクスティウスの二人が成立させた法。貴族など有力者による公有地の占有を制限する一方、執政官の一人を平民から出すことを定め、以後ほとんどの政務官職が平民に解放されていった。

リキニウス・セクスティウス法

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共和政ローマ(身分闘争)

貴族は国防上の必要を考えて譲歩し、紀元前5世紀初めに平民の権利を守って身体を神聖不可侵とされる護民官の制度を認め、平民会の設置をも許した。
紀元前450年ころには最古の成文法として十二表法も設定されて平民の権利が法によって守られるようになり、やがて貴族と平民の通婚も可能になった。

そして紀元前367年に制定されたリキニウス・セクスティウス法は貴族など有力者による公有地の占有(征服した敵から奪った土地をローマ国家の土地として有力者に占有させ、農業などを行わせていた)を制限する一方、執政官の一人を平民から出すことを定め、以後ほとんどの政務官職が平民に解放されていった。

共和政ローマ(身分闘争) – 世界の歴史まっぷ

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