オドアケル
オドアケルに帝冠を渡すロムルス・アウグストゥルス ©Public domain

オドアケル


オドアケル A.D.434〜A.D.493
ゲルマン人の西ローマ帝国の傭兵隊長。ロムルス・アウグストゥルス(西ローマ皇帝)に叛旗を翻して廃位させ、西ローマ帝国を滅亡させた。ゼノン(東ローマ皇帝)へ西ローマ皇帝位を返上し、ローマ皇帝の代官としてイタリアを統治する法的権限を得た。東ローマ帝国への内政干渉を機に、493年、ゼノンに討伐を命じられたテオドリック(東ゴート王)に惨殺され、オドアケルの支配は17年で終わった。

オドアケル

初代イタリア王になったゲルマン人

476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルは傀儡皇帝ロムルス・アウグストゥルスに叛旗を翻し、廃位させた。ここに西ローマ帝国は幕を閉じた。すでに名目上の皇帝が続き、実権はゲルマン人からなるローマ軍が握っていた。オドアケルは皇帝の紋章を東ローマ帝国に返還し、自らは東帝の代官として王となった。こうしてゲルマン人の部族国家が生まれた。

オドアケルはラヴェンナの王宮もそのまま残し、ローマ式の統治を行った。行政はローマ人にゆだね、軍事力はゲルマン人が握るという役割分担を行なったのだ。ようやくイタリアに平穏が訪れたのだが、オドアケルは自ら自分の首をしめてしまう。
488年、東ローマ帝国への内政干渉を機に、東ローマ皇帝ゼノが動いた。東ゴート王のテオドリックにオドアケル討伐を命じたのだ。ラヴェンナに逃げ込んだオドアケルは包囲され、493年、惨殺される。オドアケルの支配は17年で終わった。

元老院:オドアケルは政治をローマ人に託し、元老院もそのまま保った。そのうえ、銅貨の鋳造権までもローマ人に与えている。
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西ローマ帝国を滅亡へ

476年のヨーロッパ地図
476年のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

ゲルマン人傭兵隊長。西ローマ帝国の親衛隊に属していたが、処遇への不満から476年、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを追放、西ローマ帝国を倒した。
東ローマ帝国・ゼノンへ西ローマ皇帝位を返上し、西ローマ総督の称号を得てイタリア王に即位した。しかし493年にゼノンは、テオドリック(東ゴート王)に、オドアケルの追討を命じ、アドアケルは敗れ、殺害された。テオドリックはその功としてイタリア支配を承認され、東ゴート王国が成立した。

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オリエントと地中海世界

ローマ世界

専制ローマ帝国

コンスタンティノポリスへの遷都は、帝国の中心が東方ギリシア世界に移ったことを意味しており、帝国の東西への分離傾向は強まって行ったが、テオドシウス帝がその死に対してアルカディウスとホノリウスの2子に分割して与えて以後、東西の帝国は2度と統一されなかった西ローマでは皇帝権が弱体化していき、ゲルマン人傭兵出身の将軍が実権を握ってゲルマン人との侵入と戦うという事態となり、大土地所有者は帝国の支配権を脱して田園で独立していく傾向を強め、都市の衰亡もはなはだしかった。そして476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって皇帝が廃位されて、西ローマは滅亡した

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ世界の成立

ゲルマン人の大移動とフン人

ドナウ川中流のパンノニアに拠ったフン族は、アッティラ(位434〜453)の出現とともに急速に勢力を拡大し、一帯のゲルマン人やスラヴ人を従えて大帝国を建設した。
451年アッティラの軍が西ヨーロッパに侵入すると、西ローマ・西ゴート・ブルグント・フランクは連合して対抗し、カタラウヌムの戦いでこれを撃退した。アッティラは翌年さらにイタリアに侵入したが、レオ1世(ローマ教皇)との会見後撤退した。
フン帝国はアッティラの死後まもなく瓦解がかいするが、西ローマ帝国もそうした混乱の中で、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより滅ぼされた。

ゲルマン諸国家

東ゴート人はフン帝国の配下でパンノニアに移住したが、5世紀半ばのフンの瓦解とともに独立した。その後テオドリック(東ゴート王)の指導によりイタリアに侵入し、オドアケルを倒してラヴェンナを首都とする東ゴート王国を建設した。テオドリック時代の東ゴートは、ローマの制度や文化を尊重し、ゲルマン諸国家中最大の繁栄を誇ったが、王の死後東ローマ帝国ユスティニアヌス朝第2代皇帝ユスティニアヌス1世により滅ぼされた。

参考 詳説世界史研究

同時代の人物

倭王武

中国の歴史書『宋書』倭国伝に記されている倭の五王の一人。倭王武と名乗り中国の南朝に朝見、高い称号を得ようとした。5世紀末に実在した雄略天皇といわれる。

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