桃山文化
紙本著色花下遊楽図 部分(国宝/狩野長信筆/東京国立博物館蔵)©Public Domain

桃山文化

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桃山文化

豊臣秀吉は晩年に伏見城を築いてそこに住んだが、のちその城跡に桃の木が植えられたのでこの地を桃山と呼ぶようになった。そこで信長・秀吉の時代をそれぞれの居城の地名にちなんで安土桃山時代とも呼び、この時代の文化を桃山文化(安土桃山文化)という。

桃山文化

豊臣秀吉は晩年に伏見城を築いてそこに住んだが、のちその城跡に桃の木が植えられたのでこの地を桃山と呼ぶようになった。そこで信長・秀吉の時代をそれぞれの居城の地名にちなんで安土桃山時代とも呼び、この時代の文化を桃山文化(安土桃山文化)という。

桃山文化という場合、政治史上の安上桃山時代だけでなく、江戸時代初期の文化まで含めて用いるのが一般的である。

この時代には、約1世紀に及んだ戦乱も収まり、富と権力を集中した統一政権のもとに各地の経済・文化が交流し、また海外との往来も活発であった。その開かれた時代感覚が文化の上にも反映されて、新鮮味あふれる豪華・壮大な文化を生み出した。ここには新しく支配者となった武士や、戦争・貿易など、時代の変動を利用して大きな富を得た豪商の気風と彼らの経済力とが反映されている。こうした新鮮味と豪華さが桃山文化のもつ第ーの特色である。また、これまで多くの文化を担ってきた寺院勢力が信長や秀吉によって弱められたため、文化の面で仏教色が薄れ、現実的で力感ある絵画や彫刻などが多く制作された。この豊かな現実的精神・現世主義こそ、桃山文化のもつもうーつの大きな特色である。さらにポルトガル人の来航を機にヨーロッパ文化との接触が始まり、人々がこれを積極的に受容したことにより、この時代の文化は多彩なものとなった。こうして学問・宗教よりも美術工芸・生活文化に優れた特徴のみられる桃山文化が開花したのである。

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