ギリシア文化


ギリシア文化
ギリシア人が生み出した文化は、そのはじめにはオリエントやミケーネの影響を強くうけたが、やがて独自の文化をつくりだしていった。それはヨーロパの古典としてのちのちまで深い影響を与え、今なお尊重されている。ギリシア文化の特徴は、なによりも人間的で明るく、合理性を重んじたことだが、神殿や彫刻の多くはポリスの神々のためのものであり、悲劇もポリスを挙げての祭典で市民が享受するものだった。このように、ギリシア文化はポリス共同体と不可分のものであり、ホメロスの叙事詩は口承詩として伝わり、プラトンが対話という形でその哲学を展開したところにも、文化の基本的性格に、ポリスの公の場で市民が聞き、語るという特色があることがうかがえる。

ギリシア文化

ギリシア文化
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

オリエントと地中海世界

ギリシア世界

ギリシア人が生み出した文化は、そのはじめにはオリエントやミケーネの影響を強くうけたが、やがて独自の文化をつくりだしていった。それはヨーロパの古典としてのちのちまで深い影響を与え、今なお尊重されている。

ギリシア哲学はキリスト教神学の骨格をなし、イスラーム思想に影響を与え、中世ヨーロッパのスコラ哲学の基礎となった。芸術はインドから中国にまで影響を及ぼし、ルネサンスで高く評価された。近代の文学・絵画などにもギリシア古典に題材をとるものが少なくない。

ギリシア文化の特徴は、なによりも人間的で明るく、合理性を重んじたことだが、神殿や彫刻の多くはポリスの神々のためのものであり、悲劇もポリスを挙げての祭典で市民が享受するものだった。このように、ギリシア文化はポリス共同体と不可分のものであり、ホメロスの叙事詩は口承詩として伝わり、プラトンが対話という形でその哲学を展開したところにも、文化の基本的性格に、ポリスの公の場で市民が聞き、語るという特色があることがうかがえる。

最古のホメロス(紀元前8世紀ごろ)の叙事詩にすでに多くの神々が人間たちと密接に交わるシーンが描かれるが、ギリシアにおける宗教は古くから共同体の根幹をなしていた。中心となったのはオリンポス山に大神ゼウスを頂点にして住まうと信じられたオリュンポス十二神だが、この他にも半身の英雄ヘラクレスや、自然の中にいて人々の生活を左右する精霊や悪霊なども信じられた。いたるところに神域や社があり、ポリスの政治も守護神をまつり、信託をうかがって進められた。特に農耕神の祭典は重要であった。

アテネのエレウシスにはデーメーテール神殿があり、ポリス全体の豊饒を祈る密議が行われていた。ブドウ酒の神ディオニュソスの祭典は年2回行われていた。

総じてギリシアの神々は極めて人間的で、時に人間に親切であったが、妬み・悪意をも示すと信じられた。そして教義や経典、特権的な神官もいないことがギリシア宗教のもう一つの特徴であった。

明るく合理的な宗教のかげで、密議的な宗教も一部の人々をとらえていた。上記のほかオルフェウス信仰や癒しの神アスクレピオスの密議などがあげられる。
文学

文学ではホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』が紀元前8世紀に現れた。

この2つの叙事詩が描く世界は『オデュッセイア』の方が時代的に新しいとみなされ、ホメロスというひとりの詩人によって2作品が書かれたのではないと考えられる。幾人かの詩人が口承でうたっていた詩がまとめられ、それがホメロスというひとりの天才詩人の手になると信じられたのであろう。

それについで、紀元前7世紀初めにボイオティアの農民詩人ヘシオドスが出て『労働と日々』を残し、ポリスが生まれる少し以前の平民の立場から、横暴な貴族を批判しつつ農耕労働の大切さをうたった。

ヘシオドスにはまた神々の系譜をまとめた『テオゴニア(神統譜)』もある。

ポリスの出現にともなって人間の個性に目覚めた抒情詩人たちが紀元前7世紀に活躍した。祖国愛をうたったテュルタイオス、恋愛詩のアナクレオン、女性詩人でやはり愛を主題としたサッフォーらが代表的である。紀元前5世紀前半にはピンダロスがでてオリンピア競技など、貴族の世界をうたった。

演劇

古典期にはアテネの興隆にともない演劇に傑作が続出した。悲劇は作家たちが競作して祭典で優劣を競った。戦争のさなかに上演されて市民を励ますとともに、戦いの悲惨さを描く作品も作られた。アテネの三大劇作家の作品のみが現存している。喜劇ではペロポネソス戦争期にアリストファネスが『雲』『女の平和』などを発表し、デマゴーゴスを風刺し、ポリス市民の意識の高さを表した。

アテネの三大悲劇作家 (いずれも神話に題材を取る)

名前生没年代表作作品の特徴
アイスキュロス
Aeschylos
前525/524〜前456オレステイア3部作ポリス市民の道徳的理想を追求
ソフォクレス
Sophokles
前496頃〜前406アンティゴネ
オイディプス王
人間の生き方や心理・運命をテーマとする
エウリピデス
Euripides
前485〜前406メディア
バッカスの女たち
人間の偉大さと悲惨をテーマに、個性に目覚め、ポリスに反逆しようとする人間像をも描く
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学問

学問の面では紀元前6世紀初めにイオニアのミレトスを中心に自然の本質と根源を究明する自然哲学者たちが次々に現れた。タレスがその創始者と言われ、数学のピタゴラスは数を基本とする一種の神秘宗教を始めた。
民主制の進展に合わせるように職業弁論家のソフィストが活躍し、民会や法廷での修辞弁論の技術を教えた。代表的ソフィストのプロタゴラスの「人間は万物の尺度である」という言葉は、絶対的な真理の存在を否定するものだが、このためにソフィストを単なる詭弁家・扇動家とみなすことは適当でない。彼らはポリス市民として生きることを教え、非情な人気をはくしていた。ソクラテスもソフィストの仲間とみなされたが、人間の存在について、また心理について根源的に問い続け、絶対的な真理の存在と、知徳の一致を教えようとした。しかし青年に悪影響を与え、神々を汚したと誤解され有罪判決をうけ、あえて死刑に甘んじた。その弟子プラトンはソクラテスの思想を対話篇で再現しつつ、彼自身のイデア論やポリスの理想的なあり方を説いた(『国家』『法律』など)。彼はアテネに学問所アカデメイアを開いて哲学を教え、シラクサの僭主せんしゅから招かれて現実のポリス改革を行うことも試みた。

アカデメイアはプラトン以後も続けられ、哲学の殿堂であった。古代末期になって東ローマのユスティニアヌス帝によって閉鎖された。

その後にでたアリストテレスは、ポリスの没落の時代を生きたが、ポリスを人間社会の理想の在り方だと考えていた。「人間はポリス的生き物である」との彼の言葉が知られる。彼は、あらゆる学問分野について古代思想の総合的体系化をおこなった。彼のポリス政体論や市民の倫理、自然学の著作は膨大なもので(『政治学』『ニコマコス倫理学』『アテナイ人の国制』など)、のちのイスラーム思想やキリスト教神学、特にスコラ学に与えた影響は計り知れない。

ギリシアの哲学者たち

名前時代出身地特徴
タレス
Thales
前6世紀初めミレトス万物の根源は水, 天文学も研究した
アナクシマンドロス
Anaximandros
前610頃〜前540ミレトス無限定なるものが根源
アナクシメネス
Anaximenes
前6世紀半ばミレトス宇宙は「気(水蒸気)」からなる
クセノファネス
Xenophanes
前570年頃〜前490コロフォン神は人の姿をしておらず、永遠で自己完結的な意識が宇宙をつくった
ヘラクレイトス
Herakleitos
前6世紀末〜前5世紀初めエフェソス究極に普遍的なエゴスが存在。火のようなもの
アナクサゴラス
Anaxagoras
前500頃〜前428頃クラゾメナイ万物の根源は混沌
エンペドクレス
Empedokles
前493頃〜前433頃シチリア宇宙は地・水・火・気の4元素からなる
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自然科学

自然科学は哲学の一部にとどまるか、初歩的な段階を脱さないままであったが、ヒポクラテスの医学には多くの臨床例に基づく優れた洞察が見られる。総じてギリシアに自然科学が発達しなかったのは、奴隷が労働力として用いられ、生産労働の能率化を図ろうとする意識を市民が持たず、科学知識を活用する場がなかったことが一因だと思われる。

歴史書

紀元前5世紀になると歴史書が現れた。当時知りうる限りの世界中の珍しい風習や言い伝えを集めてペルシア戦争を描いたヘロドトスの『歴史』と、ペロポネソス戦争の歴史を、公正に原因と結果を考察し、演説などを引用しながら実証的、また教訓的に叙述したトゥキディデスの『戦史』が二大史家の名にふさわしく、クセノフォンは敵地から脱出した体験をつづる『アナバシス』や『ソクラテスの思い出』などを著した。現存する中で最も古いローマ史を書いたポリビオスもギリシア人である。

弁論・修辞

このほか弁論・修辞も重要な分野で、デモステネス・イソクラテス・アイスキネスらがポリスの政治論争や法廷弁論で活躍した。

建築

建築と美術でも宗教との関係が不可欠であった。神殿建築は今なおギリシアの都市遺跡に均整のとれた姿をとどめている。

シチリアのアクラガス(現アグリジェント)、イタリアのポセイドニア(現ペストゥム)などの神殿が名高い。アグリジェントの「神殿の谷」は、「アグリジェントの考古学地域」として世界遺産に登録されている。ペストゥムにある古代ギリシア・古代ローマ遺跡は「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

柱の形式によって、現れた時代順に荘重なドーリア式、優雅なイオニア式、繊細優美なコリント式に分かれた。アクロポリスのアテネ女神のパルテノン神殿はドーリア式、エレクテイオン神殿はイオニア式の代表である。また劇場建築もポリスの生活には不可欠のものであった。

コリント式はヘレニズム・ローマ時代によくつくられ、アテネのゼウス・オリンピオス神殿(ゼウス神殿)やローマのアポロ神殿が代表的なものである。
彫刻

彫刻では古拙期にすでに清楚でいきいきとした男女の像が作られ、古典期にはフェイディアスプラクシテレスらの天才的彫刻家が現れ、均整と調和を追求し、かつその奥に崇高な美しさを込めた写実的な神々の像をつくった。フェイディアスはパルテノンのレリーフ作成を指揮し、今は失われた「アテナ女神像」やゼウス像をつくった。プラクシテレスには官能的なアフロディテ像がある。

壺絵

ギリシアの工人が残した壺絵にも優れた美術作品が多い。コリントスや、アッティカの陶器が代表的で神話や戦争・日常生活のさまざまな図柄が描かれた。ギリシア人の歴史を知る上でも壺絵は貴重な資料となっている

ギリシア世界
ギリシアの壺絵
ギリシアのポリスの主要な輸出品が壺であり、特にアテネ(アッティカ式)の壺は高い評価を受けた。神話や実生活を題材とした図柄の壺絵は各時代のアテネの歴史や社会を知らせる貴重な資料である。人物の色によって赤絵・黒絵と呼ばれる。(Exekias画/大英博物館蔵) ©Public Domain
ギリシア世界
ギリシアの壺絵 (Euphronios画/大英博物館蔵) ©Public Domain

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