ラシードゥッディーン イラン・イスラーム文化
『修史』の「インド史」に描かれた仏陀。悪魔に果物を差し出している。©Public Domain

イラン・イスラーム文化

トルコ系のセルジューク朝、モンゴル系のイル・ハン国の支配下にイラン人が知識人として重用されたために成立した、イラン文化とイスラーム文化の融合した文化。セルジューク朝のニザームルムルク、ウマル・ハイヤーム、イルハン国ラシードゥッディーンなどのがその代表的人物である。

イラン・イスラーム文化

イラン系民族はイスラーム以前からペルシア帝国以来の高いイランの文化伝統を持ち、ササン朝ペルシアまではゾロアスター教などを信仰していたが、7世紀からイラン人のイスラーム化が始まり、特に9~10世紀の中央アジア最初のイラン人イスラーム国家であるサーマーン朝のもとで、ブハラを中心にイスラームの学問を発達させ、イラン・イスラーム文化を創出した。11世紀からのトルコ人のセルジューク朝、13~14世紀のモンゴル人のイルハン国の支配下にあった時代に、イラン・イスラーム文化は爛熟期を迎え、多くの学者や芸術家が生まれた。これらの王朝では公用語はアラビア語であったが、ペルシア語が文学、哲学、イスラーム神学などの学術用語として用いられ、イラン人が学問、科学、芸術の担い手となった。セルジューク朝のニザームルムルク、ウマル・ハイヤーム、イルハン国のラシードゥッディーンなどのがその代表的人物である。イラン・イスラーム文化は、14世紀末に起こったティムール帝国のもとで中央アジアのトルコ人に伝えられ、トルコ・イスラーム文化につながっていく。

参考 Wikipedia

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