黒田清隆
黒田清隆(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

黒田清隆


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黒田清隆 くろだきよたか A.D.1840〜A.D.1900
鹿児島県出身。五稜郭攻略戦を指揮。維新後、北海道開拓次官、ついで長官・参議。1876年、日朝修好条規を締結。開拓使官有物払下げ事件で辞任。1888〜89年、首相の時に大日本帝国憲法を発布。のち枢密院議長。元老の一人。

黒田清隆

鹿児島県出身。五稜郭攻略戦を指揮。維新後、北海道開拓次官、ついで長官・参議。1876年、日朝修好条規を締結。開拓使官有物払下げ事件で辞任。1888〜89年、首相の時に大日本帝国憲法を発布。のち枢密院議長。元老の一人。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

朝鮮の開国
江華島事件と日本の対朝鮮外交

江華島事件とは、朝鮮王朝の首都漢城(ソウル)に近い江華島沖合で、日本の軍艦が無断で測量をおこない、さらに飲料水補給を理由に上陸をはかったため、朝鮮側の砲撃をうけて交戦した事件である。事件後、黒田清隆を代表とする一行は、6隻の軍艦とともに江華島に乗りこみ、終始威嚇的な態度で交渉に臨んで、朝鮮に不平等条約を押しつけたが、これは、いわば日本がかつてペーリーの黒船に威嚇されて不平等条約を押しつけられたのを、そっくりそのまま朝鮮に対して適用したかたちであった。実際、外務卿寺島宗則は、駐日アメリカ公使ビンガム Bingham に「ペリー提督が下田に来たる如きの処置なり」と語っているし、イギリス公使パークス Parkesは、日朝修好条規と1858年の日英修好通商条約はよく似ていると所感を記している。

黒田清隆が登場する作品

ドラマ「明成皇后」

ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
明成皇后 神貞王后 高宗(朝鮮)
「明成皇后」登場人物相関図

楽天TVでも観ることができます。 明成皇后

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