須玖岡本遺跡
須玖岡本遺跡で見つかった、墓穴の大きさが国内最大級となる甕棺墓の全景。左が甕棺 (福岡県春日市教委)

須玖岡本遺跡


須玖岡本遺跡 弥生時代
須玖岡本遺跡すぐおかもといせきは、福岡県春日市岡本にある遺跡群。福岡平野に突き出している春日丘陵上の北側半分に位置する、周辺の南北2km、東西 1kmの範囲の弥生時代中期から後期の大規模な遺跡群(墳丘墓甕棺墓、青銅器鋳造跡の遺跡等)を統括して須玖岡本遺跡と呼ぶ。1986(昭和61)年6月24日、国の史跡に指定された。

須玖岡本遺跡

2016年、墓穴の大きさが国内最大級となる甕棺墓(弥生中期前半=紀元前約150年)が発見された。同遺跡は魏志倭人伝に出てくる「奴国」の中心地で、王や王族の集団墓地。今回の甕棺墓は奴国のナンバー2、3クラスの有力者の墓の可能性が指摘されている。
墓穴は縦5.2メートル、横3.9メートル。長さ約1メートルの甕を二つ合わせた甕棺から銅剣(約42センチ)1点と、被葬者の身分が高いことを示す青銅製の飾り「把頭飾(はとうしょく)」(高さ約4.5センチ、幅約5.5センチ)1点が見つかった。遺物周囲の土の表面からは複数種類の布の痕跡が多数確認された。遺物や遺体を布で何重にもくるんだ可能性があるとみている。

 奴国は、弥生時代の北部九州の中心的な国で、中国・後漢の光武帝から贈られた国宝の金印が有名。須玖岡本遺跡一帯は「奴国」の中枢部で、弥生時代有数の青銅器生産遺跡としても知られる。同遺跡では銅鏡30点以上を副葬した「王墓」とされる甕棺墓があり、今回の甕棺墓はこの王墓の時代よりやや古いが、位置は王墓から80メートルと近い。

 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)は「甕棺内で折り重なった多数の布類の存在が分かったのは初めて。広い墓穴で祭祀が行われたのではないか」と話す。

参考 朝日新聞2016年6月17日

外部リンク

春日市奴国の丘歴史資料館ウェブサイト

広告