エジプト第1王朝のものと見られる岩絵(タブロー7a)
エジプト第1王朝のものと見られる岩絵(タブロー7a) Photograph courtesy Hendrickx/Darnell/Gatto, Antiquity

エジプト初期王朝


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エジプト初期王朝 (紀元前3100年頃-紀元前2686年頃)
古代エジプト史学(エジプト学)における時代区分の1つ。エジプト第1王朝・エジプト第2王朝に区分される。紀元前3000年頃、ナルメルは上下エジプトを統一し、 エジプト初期王朝 のエジプト第1王朝のファラオとなった。

エジプト初期王朝

エジプト第1王朝

古代オリエントの地図 ©世界の歴史まっぷ
紀元前4000年紀古代オリエントの地図

紀元前3100年頃? – 紀元前2890年頃?
古代エジプトにおいて史上初めて上エジプト(ナイル川上流域)と下エジプト(ナイル川下流域)を統一したとされている王朝。
第1王朝がどのようにして滅亡したのかはわかっていない。

エジプト第1王朝初代王・ナルメル

アビュドス遺跡で発見された古代エジプトの王名を記した封泥にエジプト第1王朝の王はナルメルと記されてる。
ナルメルのパレットに上エジプトの王ナルメルが下エジプトを征服し、その王位を得たという記録がある。
エジプト学の主流では、歴史学、考古学的なさまざまな証拠に基づいてメネスを第1王朝の最初のファラオであるナルメルと同一であると見なしている。

上エジプトにあった王国の王であったナルメルは、下エジプトを征服してエジプトを統一し、リビアやパレスチナ方面にまで遠征を行って武威を示した。

エジプト第1王朝第2代王・アハ王

ナルメルの跡を継いだアハ王はナイル川を上流に遡って第1瀑布近辺までを征服。

エジプト第1王朝第3代王・ジェル王

第3代目のジェル王は更にナイル川を遡って第2瀑布近辺までを征服し、またシナイ半島を征服した。ジェル王によってシナイ半島にある銅山が王家の独占とされ、王権が著しく強化された。

エジプト第1王朝第4代王・ジェット王

記録が残っていない。

エジプト第1王朝第5代王・デン王

第5代デン王の治世には上下エジプトを統べる王としての王権理念が確立され、官僚制の整備や徴税制度も確立された。

エジプト第2王朝

紀元前2890年頃? – 紀元前2686年?
首都:ティニス
エジプト第2王朝は、先行するエジプト第1王朝よりも記録史料が乏しく、通史的な歴史は現在の所復元されていない。

初期王朝時代の遺跡

アビドス遺跡
アビドス遺跡 ©AntiguoEgipto.org

ギルガ(ナイル川西岸)の南20kmあまりの地点にあるアビュドス遺跡で発見された初期王朝時代の遺物は、この地域の第1王朝、第2王朝との関係を立証するものである。
アビュドス遺跡にはケンティアメンティウ神の神殿跡が確認されているが、これが最初に建てられたのは第1王朝時代であった。
また、第2王朝時代に建てられた日干し煉瓦の砦跡も二ヶ所発見されている。これはこの砦跡から出土した封泥その他が第2王朝のペルイブセン王とカーセケムイ王の時代のものであることからわかる。
これらの砦は長方形のプランで建てられており、外部には凹凸の装飾が用いられている。明らかにメソポタミアの建築様式の影響を受けたものである。

エジプト南部、アスワン北西のナグ・エルハンドゥラブ(Nag el-Hamdulab)で、5000年以上前のエジプト第1王朝のものと見られる岩絵が再発見された。(トップ画像参照)
タブロー7a」と呼ばれるこの岩絵の幅は約3メートル。この地域の村名にちなんだ岩絵群、ナグ・エルハンドゥラブの中では最大である。


画像出典: ファラオを描いた最古の岩絵を再発見 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

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