上杉鷹山
上杉鷹山(作者不明/上杉神社蔵)©Public Domain

上杉鷹山


上杉鷹山 (上杉治憲)( A.D.1751〜A.D.1822)

上杉鷹山うえすぎようざんは、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。日向高鍋藩主ひゅうがたかなべはんしゅの次男として生まれる。上杉家の養嗣子に迎えられ1767年(明和4)、米沢藩主となった。率先して粗衣粗食に耐え、大胆な藩政改革を断行した名君。

上杉鷹山

米沢藩中興の名君

米沢藩主。日向ひゅうが高鍋たかなべ秋月あきづき家から養子に入る。本名治憲はるのり。当時の米沢藩は窮乏しており、藩政改革を断行。殖産興業藩校はんこう興譲館こうじょうかん開設を進める。天明の飢饉てんめいのききんの発生と重臣の専横により中断。隠居後の1791年、前回を反省し、広く意見を求めながら再び改革を実施。成功に導く。

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同時代の人物

フリードリヒ2世(プロイセン王) (1712〜1786)

富国強兵に努め、プロイセンを最強国のひとつにおしあげる。オーストリア継承戦争、七年戦争で勝利し版図を大幅に広げた。文人・芸術家と深く交流したことから「哲人王」とも呼ばれ、また、プロイセンを強国に押し上げた功績から、フリードリヒ大王と尊称される。

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