ラオコーン像 ギリシア世界 ヘレニズム文化
ラオコーン像 Hagesandros, Athenedoros, and Polydoros (アゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロス作/バチカン美術館蔵) ©Public Domain

ラオコーン像


ラオコーン像 制作年不明

バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。

ラオコーン像

歴史

ラオコーンの物語は今は現存していないソポクレスの悲劇作品の主題になっていたと、他のギリシア人作家が書き残している。
ラオコーンは槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとしたが、女神アテナによって遣わされた海蛇に襲われて彼の2人の息子と共に殺された。そしてトロイア人たちはこの木馬が聖なるものであると信じ込んだ。この一連の物語を題材に書かれた有名な書物に、古代ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネーイス』があるが、おそらくはその執筆以前にこの像は制作されている。

『ラオコーン像』の制作年度については、紀元前160年から紀元前20年までさまざまな見解がある。ロドス島のリンドスで出土した碑文では、彫像の製作者と推定されているアゲサンドロス、アテノドロスの名前が紀元前42年以降に記載されている。このため紀元前42年から紀元前20年ごろに制作されたのではないかと考えられている。

この作品がオリジナルの彫像なのか、他の彫像の模倣なのかは判明していない。製作者とされる3人のロドス人は模倣を専門にした彫刻家で、紀元前200年にペルガモン王国で制作された銅像がオリジナルであるとする意見もある。プリニウスはその著書『博物誌』で、『ラオコーン像』がローマ皇帝ティトゥスの宮殿に置かれていたと書いている。一塊の大理石から彫りだされているとも書いているが、後年発掘されたこの彫像は7つのパーツが組み合わされて出来ていた。

この彫像はもともとは富裕なローマ市民の依頼で制作されたと考えられている。1506年にローマ皇帝ネロの大宮殿ドムス・アウレアの近くから『ラオコーン像』が出土したときに、自身熱心な古典学者でもあったローマ教皇ユリウス2世が入手し、この像を現在のバチカン美術館の一部にあたる庭園に置いた。

Wikipediaより

広告